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2012/7/6にロシアで開催された、ヴォログダ-オネガ-ラドガの1200kmブルベに参加してきました。(今泉 洋)

ゴールシーン
▲ゴール時の著者

これがロシアだ!------------日ロ友好の旅を満喫しました

INDEX

はじめに ロシアへの準備 ロシア2日目 主催者を探せ 夢のような夜行寝台列車 ブリーフィング - 自転車はいつ届くのか? VOL -1日目- 凸凹道が60km VOL -2日目- 悪路の果てのオネガ湖 VOL -3日目- 命からがら VOL -4日目- 最終日 エピローグ


はじめに

ヤビツ峠

▲ディスクホイールのはずが・・・

ロシアで1200kmブルベがあることは、AJの海外ブルベ紹介ページで紹介されたのを覚えていました。だって、白夜ですよ。これを聞いただけで、虫さされがひどいなどという噂は忘れるに充分です。だから、AJ福岡の岩本さんに「行かないか」と誘われたとき、僕には断わる理由がありませんでした。

せっかくロシアに行くならば(やはりプーチンPに関したリンをディスクに)など色々と思惑はあったのですが、諸般の事情によりおとなしめのデザインになりました。ところが試走したところ、どうにもリムの様子がおかしい。そしてそれに気づくのが出発の1週間前だったりして、僕は結局ノーマルホイールに戻しての参加となりました。結果としてこれは、正しい選択でした。

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ロシアへの準備

えび?

▲大韓航空では有名なお菓子がでました

明るい

▲ホテルでは24時なのにまだ明るい

ロシアに入国するためには、何らかの主催者による招待状が必要となります。すべての旅程、泊まるホテル、移動するためのチケット(バウチャー)が揃って、ようやくビザを取得することができます。これはどこで宿泊するかはやってみなくてはわからないブルベにとっては、大変前提条件からしてそぐわなさを感じさせるものです。だからこそ、BalticStarサイクリングチームの方には完全サポートしていただくことになります。

ところが、このイベントに対して熱が入る時期というのが異なります。僕はサラリーマンのため、参加直前には本当に行けるか行けないかわからない感じに忙しさが増していくので、1ヶ月くらい前にはすべての準備を終わらせておきたい。しかし主催者は逆に直前にならないと細かいことは決まらない。というより、実際にやってみて足りなければその場でなんとかするというソリューションです。

結局どうなるかというと、参加申し込みと代金は払ったものの、僕がロシアに着いたときには

最初にどこで待ち合わせするのか、知らない。
という状態であり、およそそれはロシアに入国するにふさわしいとはいえないものでした。

とにかくタクシーでホテルには到着できました。外国人には必須のレジストレーションを行うためフロントにパスポートを預け、眠ることにしました。

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2日目 主催者を探せ

自転車

▲このへんに置いておけばいい、らしい

血の上の救世主教会

▲血の上の救世主教会

メトロのエレベータ

▲とても長いメトロのエレベータ

グレープフルーツ

▲グレープフルーツに埋まったアイス!

神戸屋?

▲「神戸屋」に見えたが「カフェ」だった

ピザ

▲2枚届いたピザ

待ち合わせ駅

▲待ち合わせはここのはず

ホテルには主催者がいるか、もしくは伝言があるだろう。という予測は間違っていました

フロントによると、自転車はここに置いていけば主催者のミハエル氏があとで引き取りに来てくれるとのこと。いやしかし。僕は以下と思っていた。

▲判っていること
  • 今日は夜行電車で移動し、ヴォログダに向かう。
  • その後一泊し、翌日からブルベがスタート。
  • 4日後、ゴールからこのホテルまで200kmはバスで移動。
▲判っていないこと
  • 大きな荷物はホテルに預けておくということになっていたが、必要な荷物だけ小分けにしなくてよいのか?
  • 今日の電車のチケットはどこで受け取るのか?
  • というか、何時に何処に行けばいいのか??

なにしろ聞かなくてはわからないが、聞いてもわからない。フロントには各国対応をうたう国旗が立っていて日本の国旗もあるのだ。しかし日本語で対応してくれないばかりか、徐々に面倒くさそうなため息をつくようになり、最後には日本の国旗が外されてしまいました(すみません)

幸いなことに、VOL(ヴォログダ - オネガ - ラドガ)に参加する外国人はほとんどこのホテルに泊まっているようです。隣室のドイツ人クラウスさんは前回の参加者。またベルギー人のユーハムさんによれば、ラドーシスカヤ駅に20:40に到着していればいいとのこと。荷物の扱いは事前の説明と違うけど、まあなんとかなるだろう、それより観光に行くけど一緒にどうだい。ということでご一緒させていただくことになりました。

■届かないピザ

ひとしきり市内観光をし、18時頃にホテルを出発します。腹が減ったのでイタリアンレストランで夕食を採るとのことで、ご一緒します。ところが岩本さんが注文したピザがなかなか届かない。本当に電車に間に合うのか不安になった彼はかなりピリピリしていて、なぜか僕に当たってくるんです・・・(´・ω・`)

ユーハム氏が「腹が減ってる人間ほど危険なものはないね!」とコッソリ耳打ちしてきますが、なかなか笑えません。かなりして、ピザが届きました。2枚。

お待たせしてすみません、これは当レストランからのお詫びのしるしです

いや、それはいいですから、急いでいますから・・・! などと言いつつすべてを平らげ、それでも電車の時間には余裕をもって間に合いました。

■こない主催者

前回参加者のクラウスさんが、ここで待てばいいと指示した駅ホームのオープンスペース。これ以上信頼できる情報はないわけです。しかし、30分前になってもまだ現れません。前回のブルベ(アラスカ1200km、執筆中)でヒーローは遅れてやってくるということを身をもって知った僕は「きっと15分前になったらヒーローが現れますよ」と告げていました。

発車15分前。参加者の一人が発言します。「あの・・・もしかしてホームに行った方がいいのでは?」 最初否定したクラウス氏でしたが、結局全員でホームまで移動することになりました。残り10分。

ユーハム氏が指示します。「このチームは東、このチームは西を捜索。発見したら大声で知らせる、いいね? Go!!」 そして我々は統率された軍隊のような規律で探索を開始し、すぐに・・・「居たぞー!!」 そこには、にこやかに笑ったミハイル氏がいました。

「ごめんね?」

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夢のような夜行寝台列車

2等客室

▲2段ベッド×2で1室です

ウォッカ

▲ウォッカは「ヴォードカ」と発音

コニャック?

▲夕日が閉じ込められているんでしたっけ

そして

▲3回ほどお世話になりました

ブルベ前は体の負担を減らしたいものです。そこで着替えたり安眠を確保することなどを考えて1等客室をお願いしていましたが、2等客室になっていました。ただ、そろそろそのような些細な事は気にならなくなっていました。

2当客室は1室に4名で2段ベッド4つで眠るのですが、下の2名はロシア人のようです。最初なんとなく会釈をしたのですが、紅茶を飲むために下に降りたあたりで会話をしたく、指差し会話本を持って話し始めました。

左側の人が「フランス語はできるか?」と聞くので「ノン、ムシュー」と返し、岩本さんが右の方に「英語はできますか?」と聞くと、「I don't speak English」 という調子です。

そのうち左の方が、僕の本を軽く取り上げて言いました。「なら、ウォッカはわかるかな?

こ、これは噂に聞くノミニケーション!! たしかに、ロシア旅行記で耳にする話ですが、まさか自分にそんなことが本当に訪れるとは。ものすごく嬉しくなってしまい、ご好意に甘えます。注がれた杯は乾かすためにあるのです。

話が進むと、彼らはヴォログダの軍人と警官であることがわかりました。実はちょうどこの頃、ある要人から日本人はサケも飲めないほど悔しがってうんたら、というコメントがあったとかで。そりゃあ国と国とならばね。でも、個人間では? 「今日はとても国際的だね。ロシアと日本の友好に!乾杯!!」なんて盛り上がっていたんです。東京ではまず考えられないこの夢の様なシチュエーションに僕はたいそう感激してしまって、もうこの旅行の目的はすでに達せられたのではないかと思っていました。なので、いつの間にかウォッカがコニャックに変わっていても、なんの疑問も抱くことはなかったのです。

ワンポイント: 車掌に「手を口に当てる」動作を見せると、ものすごい勢いでトイレのドアを開けてくれます。

僕は日常生活でアルコールを摂ることは一切ありません。なのでどのような結果になるかよく知っていましたが、後悔することはありませんでした。しかしながら大変美しいヴォログダの街から40分ほど、ものすごく上下に揺れるバスでホテルまで移動したとき、確実にブルベを超えた修行をしている気分になったことは間違いありませんでした。

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ブリーフィング - 自転車はいつ届くのか?

美しい町並み

▲とても美しいヴォログダ駅

バス

▲めっちゃ揺れたバス

ブリーフィング

▲ブリーフィング

これは

▲目を書き足したくなる・・・

夕食

▲ホテルの部屋

昼ころようやくアセトアルデヒドの呪縛から解かれた僕は、スーパーで買い物をしていました。ロシア語ができないのに買い物するのは勇気が必要で、しかし海外旅行の醍醐味です。また首都近辺のホテルは日本と変わらぬ料金設定ですが、ここは1泊1000円程度で、本当に桁違いに安いのです。そのためシャワーが出ないのをどう回避するか、ボトルにお湯を入れてシャンプーするか? などで盛り上がりました。

問題は、届くはずである自転車がまだ届いていないことです。前回もそうだったらしいので僕はまったく気にしていなかったのですが、岩本さんもクラウスさんも、かなりナーバスになっており、こちらとしてはそこが困ります。

夕方になりブリーフィングがありましたが、ロシア語です。その後自転車が届き、組立始めます。「なんでリカで来たんだ畜生!」 どうも組立に時間がかかるためイライラしているようです。それを手伝っているうちに「英語でのショートブリーフィング」が始まっているというので、聞きに行きました。

曰く。
  • PC13は変更されている。ただし最新のTRKデータと大差ない。
  • PC13に来てくれれば、インジケータをすぐに発見できるだろう。
  • ドロップバッグは2箇所+フィニッシュに届く
  • スーツケースなどの大型荷物はフィニッシュに届ける

つまり最初のホテルに預ける荷物はないが、すべての荷物と共に移動できるわけでもなくて、フィニッシュ地点ですべての荷物を受け取るようです。翌日の移動はまあ、そのときになればわかるかな・・・。

スーパーが閉店する前になんとか夕食を確保しましたが、明日7:00スタートに向けて、もう寝る以外の選択肢はありませんでした。ブルベカードは走りながら見ればいいや。

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VOL -1日目- 凸凹道が60km

モンシロチョウ

▲標識には「野生生物注意」

アブ

▲アブのような虫が

バス停

▲ロシアカラーのバス停

踏切

▲「踏切とこんにちは」

道無き道

▲道無き道

白夜

▲白夜独特の日没風景

月と教会

▲355km地点、月が出ていた

テント

▲テント泊

スタートは朝7時。なので6時には起きて準備をし、ドロップバッグ3つと大きな荷物を預けます。7時になり、宿の前からみなさん移動を始めたのでついていきます。多分昨日ブリーフィングをしていた、あそこがスタート地点なんだろうなあ。と思ったらどうも様子がおかしい。うん、これはもう明らかにすでにスタートしているではありませんか。

▲最初の分岐点

スタートから2kmでした。どう考えても、ゴールを目指すなら左折すべき交差点ですが、全員全力で右折していくのです。??? 意味がわかりません。仕方なく、いきなり緊急連絡先に電話します。

話によると、「うん、君が何を言ってるのがよくわからないな。主催者に聞くから、君はとりあえず走ってくれ。OK?」ということで、まあ絶対に間違いはないはずなのでGPS通りに走り続けます。しばらくすると、またものすごい勢いで集団が後ろから追い抜いていきました。ああ、やっぱりルートは間違っていなかったのか。とこの時は思いましたが、あとから「スタート時の集合写真」なるものが出てきたので、もしかしてブリーフィングでそんな話があっのたかも・・・

PC1でミハイル氏に聞くと、「ああ、スタートはごめんね。でも大丈夫、問題ないよ」という主催者判断を得たので、問題ないでしょう。

▲ガタガタ道

問題はどちらかというとガタガタ道です。そうですね、段差5cmくらいの穴が、見渡す限りに開いている舗装路を想像してください。それが最初60kmくらい続くと言われました。もうあまりよく覚えていませんが、かなりの衝撃でした。僕はたまたまアラスカで買った700x25Cの耐パンクタイヤを履いていたので問題ありませんでしたが、リカンベントの岩本さんは命がけです。かなりの不機嫌さです。

だが昨日寝る前に岩本さんは言いました。「僕は君を頼るけど、君が頼ってきても知らんよ。」「ロードなんだから早く先に行かないでね。でも平地では先に行くからね。」「足が合わなかったらPCで待っててね。」これらは不平等条約に見えますが、GPSの地図データでお世話になったため YESという以外の選択肢は特に残っていませんでした。

▲待ち続け

PC2の手前100mにカフェがありました。そこで岩本さんにコーヒーを買って持ってきて、PCで待っていました。なかなか来ない。正直僕に余裕があるというわけでは全くないので、ゴールできるのかが不安になってきます。しかしもしかして、痛めた足が悪いのだろうか。スタッフと心配して待っていると30分くらい経過しました。おかしいな、いくらなんでももう来るはずだ。

すると岩本さんが来ました。「あれ、カフェで飯食ってんじゃないの? 俺は食ってきたよー。ツボに入った飯がうまかったぁー。食べてないのぉー?」

(#^ω^)ビキビキ コーヒーを飲み干し、先を急ぎます。

▲道なき道を行く

しばらく先に行くと、徐々に道が悪くなって来ました。たまたまその頃ロシア人参加者と一緒に走っていました。「いいか、この先にいくと橋がある。」きれいな英語でそう教えてくれた彼と行くと、道の上に大型トラックとロードローラー? 本当に工事中の道で、作業員が働いています。一人だと躊躇しそうなその道。もし彼がいなかったら、相当躊躇したはずです。「ここまでだな、後は先に行け」なんとも、映画のようなかっこよさなのです。

▲テント

今日の終わりはどこまで走るべきか。美しい白夜に白む空を眺めながら24時前に教会にたどり着きました。ここのドミトリー設備は「テント」です。御存知の通り、テントで寝るのはほとんどの場合体力を回復するどころか減っていきます。一番の原因は、入れ替わり立ち代り人が出入りするので、寝られないためです。次のPCは60km先で学校らしいので、明らかにそこまで行くべき。ですが、ここはやはり岩本さんを待つのが筋というものでしょう。目の前にたくさん飛ぶ蚊を無視しながらテントに入ります。

すぐに人が入って来ました。「ここにはトイレ設備がないようですが・・・」と聞くと、「顔なら水で洗うことができるよ」とのこと。「はい、ですが小便は・・・」「ははは、小便も大○も、そこらですればいいんだよ?」確かに今日は宿とカフェ以外でトイレを目撃したことがなかったので、納得です。

それから1時間おきくらいに声がしたり誰かが出入りしたりして、2時半頃に岩本さんが着いたことがわかりました。僕は会社と今と、どっちの生活のほうが眠いのかを考えながら朝を待ちました。

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VOL -2日目- 悪路の果てのオネガ湖

▲美しすぎる教会

▲建物も素敵です

▲コントロールポイント

▲キオスクでの買い物

▲林道への入口

▲白夜のオネガ湖

断続的な睡眠から覚めると岩本さんは起きていました。時間が足りないのでこれから出発するそうです。僕はもう少しゆっくりして、本当は時間ギリギリまで寝たかったけど、あまり意味がなさそう。そこでコーヒーをいただき、恐ろしいまでに美しいあたりの自然と教会の写真を撮りまくっていました。

しばらく走ると岩本さんに追いついてしまいます。ガタガタ道で両足をやられたらしく、苦しそう。だがしかし、その余裕の無さはナチュラルに僕に当たってくるように感じられます(´・ω・`)。やはりリカと一緒のペースは難しい。先に行くことにしました。

▲消えたボトル

いくつ目かのPCで餃子を食べ、また待っていたのはガタガタ道でした。どのくらいのガタガタかというと、その次のPCに入ったときにボトルが1本無くなっていたくらいのレベルです。えっ。これは・・・ちょっとまずいですね。ロシアは寒いと思っていましたが、今は30℃くらいになる上PC間が100km近く、補給が無いのです。僕はなんとしてもドリンクを補給する必要に迫られました。

▲キオスクでの買い物

コントロール以外で買い物をすることは、特にロシア語ができないと緊張を伴います。入り安そうなキオスクが現れたので意を決して止まったところ、向こうから少年が歩いてきました・・・ここは先に買い物をしてもらって、買い方を見学しよう。どうぞとジャスチャーすると、向こうも「どうぞ」とのジェスチャー! ではありがたく。

イズビニーチェ、あー (これこれ) ダー、スパシーバ!

ファンタを買えました! 結構嬉しいものです。
飲もうとすると、さっきの少年が話しかけてきました。「ロシア? アメリカ?」かろうじてここだけ判りましたが、その他の言葉はわかりません。うーん、「日本だよ。わかるかな」と返しますが、やっぱりわからないみたい。「うーん、ごめんねロシア語わからないや」と日本語で話して方をすくめたところ、いいよという仕草とともに握手を求められました
快く応じます。が、少年よ君は恐らく勘違いしている。僕はツールドフランスの選手などではなくて、単なる一般人です。。。でもブルベは最高に面白い、これは間違いないので。大人になったらBalticStarに参加してみてもらいたいですね。

▲林道からオネガ湖

背中にファンタを入れて、なんとかPCまで走りきります。マッシュドポテトをいただき、往復コースを引き返します。そしてGPS通りに左折すると、どうみてもこれは・・・林道です。徐々に激しさを増していく林道。さすがに未舗装路は覚悟していたけど、まさかこのレベルとは・・・。砂地だったり泥だったりの数kmを超えると、高速道路に出ました。さっきと正反対の良い路面です。果たして岩本さんはここを超えることができるのか・・・

心配しつつも先に進み、この日は何とか1時頃にPCに到着できそうでした。そのほんの数km手前。オネガ湖。日没後の薄明に照らされた湖面は、空を鏡に映してあやしく佇んでいました。はぁ、これがまさしく白夜のブルベなのか。あまりの美しさに感動し、しばし写真を撮って時間を過ごしてしまいました。

PC9、735km地点に到着したのは1:20を過ぎた頃でした。2日でこれくらい走れると後がラクというものです。事前にコントロールポイントの確認をできなかったのですが、これでとりあえずの目処はついたと思いました。

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VOL -3日目- 命からがら

アリョンカ

▲このチョコはうまかった

カップ麺

▲PCでカップ麺最高!

▲学校の中も美しい

▲カリシロ風味のクルマが可愛い

▲ごくたまにカフェがあるけど、入りにくい

▲PC12

▲PC12にあった蚊取り線香

▲炭鉱?

▲踏切

▲日没しても薄明が続き、かつ月が出る

▲往復コース、「ブルベー!」と叫ぶ集団と交錯

▲旧PC13、絶体絶命の雨宿り

▲救世主

▲事件発生

睡眠に入って1時間後の2:30、スタッフに起こされました。いったい何事でしょう。

「ロシア人の参加者が、君の友達を見たというんだが―――コースと無関係の方向に走って行ってしまったらしいんだ。彼に連絡したいんだが、電話番号を知らないか?」

( ゚Д゚)

それは・・・意味がわかりません。彼とはまったく同じGPSとデータを使っているので、コースを間違えることはありえないでしょう。静止を振りきって行ったということは・・・、やはり理由がわかりません。スタッフにそう告げて、自分も電話をかけてみました。このエリアでの国際電話発信はどうも、かかるときとかからないときがあるようで、結局10回ダイヤルしたところで諦めました。正直、自分も眠いです。

ゆっくり寝て朝に起きましたが、やはりまだ岩本さんは来ていないようです。いやいや・・・どうしたんだろう。心配ですが、ここで待っていたからどうなるというものでもありません。紙に日本語で「ここに着いたら電話してください」と書き残し、僕は先に進むことにしました。

▲デジカメ破損

いつも使っているデジカメから異音がしだしていたので、僕はこのブルベの直前に新しくコンデジを買いました。それが、買ってから2週間の今、スイッチを入れてもメモリカードにアクセスできない状態になっていました。

真っ先にメモリカードは無事か!?と不安になりましたが、内蔵メモリ記録も不可な状態。どうすんだ、写真を撮るために走っているようなものなのに・・・。しかし、こんなこともあろうかと予備のデジカメを持って走って正解でした。同社製品でメモリカードの無事を確認、安心して次のPCへと向かいました。(予備の予備としてスマホがありますが、あまり画質がよくありません)

▲寝床

あとはもう、ひたすらにまっすぐ走って。PC12に着いたのは19時前でした。ここで寝て、翌日走っても時間的には間に合います。が、テント泊です。また、PC13は105km先ではありますが、学校です。となると、迷うことなく先に行くべきですが、気になるのはPC13は変更されたとブリーフィングで言っていたことです。まあきっと、行けばわかるのだから大丈夫でしょう。しかし念のためここのスタッフに確認します。

「あの、次のPCは変更されてるんですよね。でも行けばわかるとか?」
「そうだね、でも町といっても小さくて、せいぜい50mくらいしかないほどなんだ。だから(町中を)走ればわかるよ。PCは橋を渡って、すぐ左だからね」

安心しました。さすがにこれだけ聞けば迷うことはないでしょう。・・・そう思いませんか?

▲豪雨

このところずっと快晴で、白夜はいいなあ、ライトのために電池をほとんど使うことがないや。と楽天的に考えていました。気温も高く、もってきた防寒具は必要ありませんでした。しかし、当然ですが、白夜でも雨は降るんですよね。正直そんなことを忘れるほど快適な気候だったので、PC13に近づくにつれ徐々に天候が悪化していっても気にしませんでした。だってPC13に到着すれば寝るだけで、しかも翌日はゴールするだけ。そう、今日を走りきりさえすれば何の問題もないのだ。

こういう考えが危険であることは、何かとうまく事が運んでいると忘れがちです。残り10km地点で相当暗くなり、小雨が続いてきました。でも僕はまだ半そでジャージのまま、「止まって着替えるよりは走りきってやる!」と思っていました。残り5km、雨は本降り、さすがにまずいと思い、でもまだウィンドブレーカーのみ羽織って走ります。

残り3km、とてつもなく強烈なフラッシュが焚かれた、と思ったら、遠くで大太鼓のような音が・・・これは雷だ! もはや雨は本降りどころではなく、ザーザー降りです。残り1km、家々が見えてきました。ここでピカッ!ドドーン!と、本当にバケツをひっくり返したような雨となり、命からがらという感じで橋を渡り、GPSを頼りに学校の中へと入っていくのでした。しかし、この完全な濡れ具合、ちょっと失敗したかなあ。

▲見つからない

気がつくとあたりは真っ暗でした。最近ずっと夜でも明るかったので、久々の漆黒です。しかも雨は降り続いており、完全に服に水が染みとおっています。ここで体が冷える前にPCを探さないとどうなるでしょう。ですが、新しいPCを示す道標がどこにも見当たりません。

ブルベは個人的にサイクリングをしているとみなされます

それがルールです。ということはつまり、夜中に外人がロシアの小さな町で、不法侵入を繰り返して町を徘徊している・・・しかも僕はAJのウィンドブレーカーを着ていたので、小さな日の丸までご丁寧に背負っていたのです。これはマズイ!!!

まずは路面や標識にくくりつけられた紙か矢印がないかどうかを探して注意深くゆっくり移動します。橋まで戻り、繰り返します。次に町のメインストリートを隅から隅まで走ります。たしかに短いですが、まだ明かりのついた家を回るのは心細いものです。ロシアのPCはなぜか、とても小さい張り紙を目立たないようにしておき、自転車も建物の中に持って入るようになっているため、他と見分けがつかないのです。

しばらく学校に戻って徘徊していると、建物のドアが開いて誰かが出てきました。

「ハイ、あなたはヴォログダ-オネガ-ラドガのスタッフ・・・」と口に出したとき気がつきました。「ではないみたいですね・・・」

▲絶体絶命

中から出てきたのは太ったおばさんで、当然ながらロシア語なので僕は言葉を理解できませんでした。身振り手振りで怪しいものではないことを説明しようとしますが、客観的に見るとどう見ても怪しいと思えるので、我ながら困ります。しばらくしてケータイを取り出し、電話します電話します! というあたりで、彼女は中に入りました。これは危害がないと思っていただけたのか、それとも警察を呼ばれたのかは判別できません。もちろんケータイは緊急連絡先もミハイル氏も、圏外でした。どうしましょう、もう打つ手はありません

▲救世主現る

もう諦めて次のPCまで走ろう。半ば徹夜だ。そう覚悟して橋の前に立ったとき、聞き覚えのある音がしました。あれは、ラチェット音。一人の太ったロシア人ライダーが来て目の前に止まりました。「PCが見つからないんだ!」僕はそう言って肩をすくめる仕草をしました。すると彼は落ち着いた風に指をしゃくりました。どういう意味か?

ついてきな」そう言う彼に必死に続きます。一緒に町の奥を抜けて線路まで行って、やはり何も無いのを確認すると。彼はミハイル氏に電話しました。なんとロシアのSIMなら一発でつながるのです! 二言三言話して、また「ついてきな」という仕草。来た道を戻っていきます。2km、3km・・・

「あのー、もしかしてPC13は諦めるってことですか?」と聞いてみると、ちっちっと指を振ってから先を示します。「見るんだ、あれを」

そう、そこにはミハイル氏のクルマがあってライトをつけていました。なるほど、インジケータというのはPC13の3km手前にあるA4版の紙と、ボール紙2つのことだったのです。正直あの雨と焦った状況ではまったく見えませんでした。それにしても救世主となった彼のしぐさ、行動。まったくもってこう思っていました。「カッコいいとは、こういうことさ!

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VOL -4日目- 最終日

PC14

▲PC14変更のお知らせ

最終日スタート

▲最終日、スタート

新PC13

▲これが新PC13のインジケータ

アイウェア

▲失ったアイウェアを発見!

学校

▲昨夜は暗かった学校

リカ

▲リカに遭遇

電線

▲晴れと雨の狭間の電線

チョコ

▲戴いたこのチョコもうまかった!

ラドガ湖

▲ラドガ湖にて

ラドガ湖2

▲こちらもラドガ湖

観覧車

▲なんと観覧車発見!

散弾銃

▲散弾銃の跡が・・・

ゴール

▲ゴール!

▲PC14変更のお知らせ

ゆっくり眠り朝起きると、隣のベッドに寝ていたミハイル氏が起きました。スタッフが朝食を用意してくれ、ミハイル氏はPCを片手に「これが新しいPC14、4km先に変更になっているからね」とのこと。モバイル機器が駆使され、ほぼリアルタイムに参加者の位置がわかるようです。すると気になる岩本さんは? たずねると、まだ走り続けているようです。それはよかった! また紙に日本語でPC14変更のお知らせを記載したメモを残しました。

▲忘れ物を捜しに

もうあと150kmも切っていてPCは残り1つ。さすがにLELと違って、もう安心してもよい頃合でしょう。となると僕には気になることがありました。実は昨晩かなり焦ってPCを捜索していたので、気づいたらアイウェアが無くなっていたのです。時間に余裕があるため、昨晩の学校方向へと走ります。数kmですが往復すると結構な時間だし、そもそもこういった「紛失物」を発見できるってことはまずありません。ですが・・・目星をつけていた校舎に移動すると、あっさり見つかりました。やった! 雨なら不要ですが、晴れているとアイウェアは必須なのです。もう数え切れないくらいのモンシロチョウが僕の目をめがけて突っ込んでくるのですから。

▲邂逅

ここからコースは40km戻ります。ということは80km差が無い限りは後続の人とすれ違うはずです。10km、20km、30km・・・まさか岩本さんとそんなに離れてしまったのか。そして35kmでしょうか、炭鉱の踏み切りのところで、向こうから近づいてくるリカンベントが見えました。

見ると大分疲弊した岩本さんでした。両膝に加えくるぶしを痛め、リタイヤできるかも判らず、どんなことがあってもゴールまで走りきりたいということでした。
「岩本さん、苦しいときはご家族の顔を思い出すんですよね。今はどうですか?」
「もう何回も思い出して、懺悔したよ。」
懺悔・・・? 言葉の意味は判りませんが追い詰められていることは判りました。ヨロヨロとリカンベントを押して歩き出す岩本さん。韓国1000kmを完走した岩本さんに、僕には今こそ言うべき言葉がありました。

「岩本さん!! 괜찮아요!! (≒なんくるないさー)」

「やかましい! ケンチャナヨあるか!!」 彼は大層不満げに、しかし少しのマゾヒズムをもって応えると、リカに乗って走り出しました。そう、アドレナリンが出ている限りは大丈夫。岩本さん、頑張ってください!

▲ついにラドガ湖

最後のPCまではひたすら走るだけです。旧PC14地点で止まっているロシア人ライダーを見かけましたが、彼は初日にオフロードを案内してくれた方です。

「PC14の位置について知りませんか?」
「はい、ここから4kmくらい先みたいです。ラドガ湖の写真を撮ってから僕も追いかけますね。」

そんな会話をして、辺りの写真を撮ってから走り出します。すると、しばらくしてちょっと丘を登ったところに彼が止まっていました。「ここからなら湖全体が見渡せるぞ。お互いに写真を撮りあおう!」

なんという素敵な心遣いでしょう。親指を立てて、写真を撮っていただきました。

▲PC14もアウトドア

PC14は道の左側にありました。ひとつだけ気になるのは、なぜ草原を両手で自転車を押しながら登ってくるライダーがいるのかということです。今回かなりの数のPCは、敢えて森の中や湖の湖畔まで移動する設定になっていました。ちなみにガイドブックには、森には注意せよ、ダニに刺されたら最悪死ぬ場合があるが、この特効薬は日本で認可されていないので刺されて帰国したら死ぬよ、と。今回ばかりは過剰なアウトドア向けSPDシューズとGORETEX雨具が、真の意味で役立ったと感じることになったのでした。記念にラドガ湖まで降り立ってみました。ようやく、最終目的地の湖までたどり着いたのです。

▲観覧車発見

あとはもうちょっと走ればゴールです。PC14では心拍計が止まってしまうほどの時間くつろいで、マカロニをゆでていただき、ゆっくりスタートしました。もうイベントは特に無く走るだけなんだろうなーと思ったら・・・なんと! 道の右側に観覧車を発見しました。あまりに驚いて、夢中で写真を撮っていました。

僕は以前北海道1000kmのキューシートに「観覧車に乗って遊ぶこと」という指示を見て以来、LELではロンドンアイを見る機会があったり、ヘヴンウィークでは九州中の観覧車に寄り道していたりしました。ロシアにはモスクワに世界最大級の観覧車を建設するという話がありましたが今回は寄らないので、まさか観覧車に出会えるとは思わず、かなり嬉しかったのです。ここは小さな公園でした。できれば動いているところを見たかったですが、残念ながら開店時間ではなかったようです。

▲ゴール、そして

長い1200kmの旅ももうすぐ終わり。徐々に市街地が広がり車通りが増えてきました。道路標識には散弾銃の跡が・・・って、あれ? これは予想を上回る都会具合です。だからサンクトペテルブルクまでは行けないということなのかもしれません。

最後の軽いアップダウンを走って、ゴール。トラブルはあったものの、今回コース自体は難易度が高くないので、余裕をもってゴールできました。

しかしここで言われたことは、こうでした。

  • あー、悪いけど、いま宿が満室になりました。
  • 荷物は体育館にあるからね
  • 水と食料は、ありません。
( ゚Д゚)

しまった、油断した・・・。自己責任のブルベ、ついつい水を使い切り食料もちょうどなくなった状態でゴールするように調整していました。しかし誰もゴール地点に食料があるなどとは言っていないわけで、これはまさに油断でありました。

そこでまず荷物から梅ゼリーを取り出して食し、シャワーを浴びて着替えてから町に繰り出して。スーパーで大量に水と食料を買い込み、岩本さんのぶんも用意しておきます。戻ってポテトチップスを食べてくつろいでいると、これからまさにスタッフが食料を用意するところでした。早い人はとっくにゴールし、ギリギリまで楽しむ人はこれから、という、なんとも間が悪い時間に帰ってきてしまったようです。

▲感動のゴール

しばらく自転車を梱包したり、食事に行ったり、なんとか寝るところを発見したりしているうちに時間が過ぎて夜になりました。制限時間まで残り1時間を切って、さてどうなるか・・・というとき! 「おい起きろ、友達が帰ってきたぞ!」という声に起こされました。

岩本さん! 素晴らしい、リカンベントでの感動のゴール。これはロシアのみなさんに英雄として称えられる偉業でした。またゴールしてきたクラウスさんと乾杯しながら、走者が無事にゴールしたことにほっとしたのでした。

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エピローグ

▲オリジナルジャージ

▲スーパー

▲夜のサンクトペテルブルク

▲エルミタージュ前!

▲遊園地の観覧車!!

▲みやげ物

▲木製のブルベメダル!

▲長崎で見たような建物

本当に色々なことがあったロシア1200km。ブルベはもちろんのこと、それ以外のこと。観光地もそうですが、特に人の・・・なんでしょうね、かっこよさ? いまいちうまく言えずにもどかしいですが、そんなことを感じる旅になりました。次回は4年後ですが、開催されていたらぜひご参加を。なんといっても、「これがロシアだ!」というロシア流、そのものがめっちゃくちゃに面白いのですから!

▲走行記録

・走行距離 : 1228km (GPS)
・獲得標高 : 5000mくらい (Polar)
・コース難度 ★★★★ (LELよりさらにラク)
・出発-到着 : 2012/7/6(金) 7:00 ~ 7/10(火) 17:00
・所要時間 : 82時間ジャスト
・実走行時間 : 57時間33分 (GPS)
・移動平均速度 : 21.3km/h (GPS)

Report & Photo HIROSHI Imaizumi July 2012

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