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カナダのBC.Randonneurs Cycling Clubが4年に1回開催するロッキーマウンテン1200kmに参加した尾澤さんの走行記です。ブルベカードをコントロールに忘れて取りに戻ったときには一瞬完走が遠のいたかに思えたが、参加者とスタッフに助けられ、持ち前の根性と脚力で堂々76:54で1200km走破しました。
  1. 受付と車検 
  2. 出走〜1日目 
  3. 2日目忘れ物を取りに 
  4. 3日目〜Finish 
  5. Party会場で

BC.Randonneurs Cycling Clubのサイトでロッキーマウンテン1200の概要、コース、リザルトを見ることができます。

ボウ峠付近の夕焼け

1:受付と車検

現地への移動

バンクーバー空港でカムループスへ向かう小型機を待合室から撮影。自分のバイクが横向きに他の荷物の上に置かれているのを発見。

現地の空港に着いたのは車検前日の夜8:00過ぎ。緯度が高いので、この時間でもまだ外は明るく郊外に見える山が夕陽で赤く照らされていた。

当初の予定ではもう少し早い時間に付く予定だったが、関空発の飛行機が4時間遅れ、その影響で乗り継ぎ便が1本遅れ、結局予定より6時間ほど遅れて現地に到着した。

空港から15分くらいのホテルへはシャトルバスに乗り、チェックインを済ませ、部屋に荷物を運び、バイクを組み立て、軽い慣らし走行を済ませて戻ってきた時は、既に10時を過ぎていた。

一夜明けて、開催初日23日、朝から受付が開始し夕方まで受付けた後、夜のスタートを待つのみ。

私は受付開始時間を間違えて朝8時に受付会場へ。参加者・スタッフともに関係者らしき方が誰も居ない。明らかに時間を間違えたと気づき、会場から500mほど離れたホテルへ一旦戻る。

Webに掲載されていた情報を読み直すと10時から開始だった。

寝直すほどの時間はないので、帰りの空港までの足を用意することに。ホテル室内からの電話が上手く繋がらず、フロントに聞くと、「9と市外局番250を付けてね。」と言われるがそれでも未だ繋がらない。何回か試すことでようやく繋がったら、来たときに使ったシャトルバスはこちらの指定時間が朝早過ぎるため、不可と言われる。結局、フロントに大型荷物の載るいつものタクシー屋さんを呼んでくれるようお願いした。

10時近くなり気を取り直して、再度会場へ。

行く途中、車道が普段とは異なる通行であるためクリートを外す足を普段と逆にして失敗し、久々に立ちゴケした。バイクは無事でよかったが、受付時に預けるドロップバッグ計10kg近くあり、これを背負った状態で転んだので右ひざを打ち、左手首を軽く捻ってしまう。怪我しないよう気をつけていたのに、全くもって意味が無い。出走を目前に心配事を増やしてしまった。

空港からホテルへ

カムループス空港から10km離れたダウンタウンのホテルへは、空港前に居たエアポートシャトルを利用、ホテルの住所を告げ、15分くらいで到着。シャトルバスの写真を撮っていたら、一緒に乗り込んだ地元の方に話しかけられたので、この町もカナダも来るのは初めてで、聞かれもしないのに自転車でロッキー山脈に行くことを自慢した。

日本から出国する飛行機の出発が4時間遅れ、旅の先行きを暗示しているよう。

10時数分前に到着。会場は開いたばかりでまだ混雑していない。

カウンターで並んでいた書類は、Webでダウンロードし見覚えのある書類ばかりだったが、念のため1部ずつもらい、バイクチェックへ。そこで米国在住のNさんに会う。

車検はかなり念入りに行なってくれた。ハンドルに体重をかけて、ステムのネジ緩みがないか、ブレーキは効くか、クイックレリースの締りも確認された。海外からの参加者の多くは空輸でバイクを分解して持ってくる場合が多いので、組み直し時の緩みに起因した事故を懸念した上での入念な車検なのだろうと思い見ていた。ここは事前にチェック項目が開示されているので、必要な携行備品も見せながら、無事パス。

バイクチェックが通ったので、建物内へ入り受付で名前を告げ、1ファイルに用意された各個人の権利放棄書にサインをする。引き換えに、ブルベカード、NO.プレート、タグ、国定公園入園証、エントリー時に頼んだジャージ、仮眠所用の耳栓、シャワー用の石鹸、終了後のパーティ案内状、の一式をもらい、自分の指定するPC宛にドロップバッグを用意されたタグを付けて3つ預ける。

以上で受付は終了。

おそらくFinishでしかお会いしないだろうと思い、Nさんと出口で会った日本人参加者M&Mさんに無事ゴールで会いましょうと挨拶して、ホテルへ寝に戻る。同じホテルにTさんが居たことが判明。戻ったホテルでは部屋がまだ掃除中で寝られないため、また会場へ戻り、NO.プレートを付けたり他の日本人参加者と喋りながら、しばし過ごした。

 

2:出走〜1日目

23日の22:00に90時間の組が出発した。私は見送りに行かずホテルで寝ていた。

翌朝4:00の出走に向け、起きたのが日付を跨って24日2:00。出走準備をし、コンビニで買ってきた食事を取り、ホテルをチェックアウトする。ホテルを離れ遊びに行ってくる中2日間、バイクケースを預かってもらうことを説明してチェックアウト完了。

4時までには一寸早めだったが、会場へ。道すがら同じ格好をした人を2人見かけた。

会場では、既に数名が到着しており、歓談中。見知った人も居ないので、開始まで建物の中に入り椅子に座って待機した。暫くして84時間のもう1名の女性出走者であるアメリカの方が到着した。私はどんな方だろうと少し気にしていた。

84時間の部に出ていた人の中には、あまり荷物を持たずに走る方が何人も居ました。私も荷物は少ないほうだったと思います。彼女は大きなランドナー用の荷物を3つ持って走るようで、その余裕には驚きました。

砂漠のような山はなくなり雪を冠した山が見え始める

丁度4:00になった時、一斉スタート。

道が分からないので、幹線道路に出るまでは一緒に行かねばと思い、とりあえず集団と一緒に移動。前回経験者と思しき方が、「次、右」とか言いながら案内をしてくれる。少しのことですがラッキーと思いながら着いていく。

幹線国道=高速道路で、道も分かったしこれで安心と、そこで気を緩めるつもりが、一気にペースアップ。さすがに速い集団。私はこのペースだと脚が持ちません。

緩い丘の繰り返しが続く中、緩い登りで相当速度が出ているのに先頭がダンシングを始める。メーターを見ると40km/h超。ええ?!そんなー。と思いながらも当然、後続は切れないよう腰を浮かす。周囲が暗闇のうちは何とか集団についていたが、もちろん切れないように付いていくのが精一杯。開始30分15kmほどで燃料切れを感じてあっけなく脱落した。開始からの30分の平均時速は36km/hでした。そのままいつものマイペース走行に。

自転車は高速道路に入っても速度は同じであるはず。と30km/hペースで走ってもみるみる差をつけられ、あの人達は40km/hペースの高速道路用の走り方があったのか?と不思議な気がした。時差ぼけの思考回路が作る言い訳に納得していた。Finish後、トップの方の完走タイムを見ると凄い速い時間だったのと、Nさんからここの参加者にはRAAMのFinisherが数名居たようだと聞き、道理で別次元の人が居るものだと納得しました。

その後すぐ、集団以外の方に次々と抜かれ、暫く誰も来ないのでビリを自覚しました。今回はエントリーする部門を酷く間違えたなと思いました。

当月になってから随分と練習したつもりなのですが、これはあまりに差が有りすぎます。

暫くすると、最初のGSコンビニに前走者の姿を見かけたので立ち寄りコーラを購入。コーラの値段が気になりながらも、地区によっては、購入額のうち幾らかは環境保全に充てられることもあるようです。

クリアリバーに付くまでに既に眠くなりながら、シアトルのシングルギアの3人組と暫く一緒に走った。眠くて静かにしていたら機嫌が悪いと思われたようで、補給を摂っている間に別々に走ることになった。走っていると山や川に目が向きます。山は針葉樹林が多く、植林などはなく手付かずのまま山でも沼でも倒木はそのまま朽ちている原生林です。ここでは景色を見たいので、目標時間を気にして走る気があまり強く起きなかった。

クリアリバーからブルーリバーへ着くまでにメシター峠がある。その前にまたGSコンビニがあり、そこで休憩していた時、アメリカの男女の方に話しかけた。84時間の女子は、どんな方だろうと事前からこっちでは気にしていたが、彼女はあまり気にしていない様子。走り出したらランドナーの重装備で3つも大きなカバンを持っていても軽装備な私より随分と速い。内心、賞嘆していました。

そのコンビニは私が先に出たのですが、じきに追いつかれ、女性の方に引いてもらいました。荷物満載のランドナーバイクでこんなに高速が出せるのものだと、驚きました。メシター峠に差し掛かってすぐに付いていけなくなり、さよならした。

Mt.Robson

休憩の取り方次第で、この2方とはずっと前後しながら走っていた。          

次のベールモントの休憩で、早々にPC撤収が見込まれることになったスタッフの方とともに話をしているうち、彼女は大きな目標に向かっていると聞いた。それならば、1200kmは足慣らしのウェイトトレーニングしているのだろうと感服しました。更にお連れの方はその完走者だということで、さてかなりレベルが違うとこに来てしまった、と自身の場違いぶりを反省しました。

このレベルの高い彼等と一緒に走るというより歓談することが出来たことが、はるばる来た甲斐があったってもんです。

走行中は、こちらは頑張っているつもりなのですけど、おいていかれ放題です。ここでもっと言葉が流暢に喋れればなあ、と思ったものですが。

体内時計の関係でようやく午後になってから徐々に目が覚めてきていた。ジャスパー手前で夜中になる予定で極端に寒いと困ると急に心配になり、パンク続きの後続の方が着いたとき出発した。またすぐに追いつかれるつもりで先に出て、ジャスパーへ向かうことに。出て直ぐに、写真を撮っておけばよかったと少し後悔した。              

夕方4時を過ぎてくると、さすがに暑さも薄れてきて、水分補給のためのPC外の余分な休憩を取らずに済む。雪山を目の前にすると空気も余分に冷えている気がする。またMt.Robsonが見える日陰で長い下りに差し掛かると、寒さを感じた。

登りで外したアームカバーを戻し、早くジャスパーに入らねばと思うものの、登り基調であまり速度は上がらない。

緯度が高いため夕方6時ごろから3時間くらいかかりながら日が沈んでいく。また追いつかれるかなと思いながら、後ろを振り返りつつ長い夕暮れを一人で走っていた。視界は明るいが、走行している路面は既に暗く、夕方の6時か7時には点灯した。視界全体のうち上の方を占める山々のピークには、9時頃までも陽が当たり、いつまでも夕方で時間が留まっているような変な感じ。時計を見れば時間はもちろん進んでいる。一方、草むらでは夜行性の動物たちが既に動いていた。ムースレイクの脇で夕映えが赤紫色になり、徐々に暮れていく。

完全に日が暮れる10時過ぎになると国定公園エリアに差し掛かった。騒々しい大型車や車が前後に居る間は国道らしいが、車が居なくなると完全に闇の世界になる。静かな暗闇と言えば、どこかの伊豆のコースに似たものを感じながら走っていた。動物らしいものが道路端の草むらを動かすと、こちらは否が応にでもスピードが上がる。

足を止めて上を見ると満天の星。北斗七星とオリオン座と北極星くらいしか判別出来ないが、頭上に近い位置にあった。

カナダは自然環境を非常に大切にする国で、国定公園内に空港は無く上空を飛ぶことも制限されている。道を走っていても、湿地にアスファルトを埋めて通せば平坦になるのだが、岩山に向かって登るような場合もあった。

TerryFox側の山なみ

地道な環境保全の努力が、清浄な空気をもたらし、いつもの星座が分からないほど小さな星が見られることはその結果かもしれないと思いながら見ていた。ライトを消して静かな道路で上を見ていたら100mほど離れた路傍の藪の草がガサガサする。大きめの動物の何かがいるようだ。熊には会いたくないなと思いながら、速やかにジャスパーへの移動を再開した。

静かで真っ暗なイエローヘッド峠を越えると、後は下り基調。

まだ後ろが来ない。このままだと引いてもらっただけになってしまうなと思いながら、ジャスパー市街地へ到着。

PCへの導入路が分からず、レイクルイーズ方面への出発時の道を使用したら、入り口の交差点に大きな草食動物が居た。後にPCで話したらエルクの雌だったようです。

明らかに車や人間を見ても森の棲み処へ戻る気配は無さそう。林の中を自転車と並ぶような速度で町の方向へ走っていましたが、PCとは違う方向へ走っていったので、自分で作ったコマ地図を取り出し落ち着いて道を確認、工事中の箇所で自転車の轍を見つけ、道が合っていることを確認しながら市街地へ。

PC付近の繁華街は若者で賑わっていました。観光客?かな。エルクがここのどこかに居る町とは思えない明るさだった。

ジャスパーでは、多くの90時間組の人に会った。

仮眠から起きてきた日本人の2人にも会いました。睡眠予定を変更して、すぐ次へ駒を進めるかどうか迷いました。これより基幹国道を離れ山岳道路へ向かうのに、市街地入り口で会ったさっきのような野生動物と多々遭遇することを考えると、一人で遭いたくないので一緒に行きたいとは思うのですが、十分休んで出発の二人と休みなしではペースが合いません。1時間仮眠することにしました。でも寝る前にきっちり苦いコーヒーを飲んでしまい、ほとんど眠れなかったのでそのまま発ったほうがよかった。食事も済ませBC時刻で2時頃、重大なミスを犯したことに気が付かず、出発。

さっきジャスパーであまり眠れなかったので、このペースで行っておいて次かその次のPCで眠くなったら4時間普通に寝よう、写真も撮れるな、と思っていた。

暗闇の草むらで何か音が聞こえるたびにライトを向けられるよう準備しながらも、あまり道の隅を走らないようにしていた。暫く走るうちに夜が白んできた。澄んだ空気と山の上に残る氷河と、音しか聞こえなかった冷たそうな青白い河が薄明かりの中で見えてきた。夕方も長いが、ここでは朝焼けも長く、徐々に明るくなってきた。

3:2日目 忘れ物を取りに

気温が低い間に距離を稼いでおこうとペダルを踏んでいた。

ジャスパーから次のビューティクリークまでは約90km、比較的短いので快調に行くつもりで飛ばした。夜が完全に明ける頃で24時間経過、ここまで結構な高速で進んだようだった。

あるオートサイトの予約が満室なのを見て暫しの後、自分に関係書類一式が無いことを気付いた。ブルベカード・パスポート・等等。首から提げていたものを仮眠所で寝たときに自分の脇に置き、出発時に寝ぼけており隣の人の物と思い込んで置いてきた。

現在5時少し前。メーター上、次まであと20km程。いろいろ考えると、

急がば回れでビューティクリークまでやってみようと思い、来た道を戻ることに。

引き返し始め、さっき登ったばかりの洗濯板マークの坂を50km/hくらいで豪快に下り、すれ違う皆に変な顔をされながら走る。気にしてくれる人に全て説明していると遅くなるので、軽く挨拶しながら、顔の分かるシアトルの3人衆には「ブルベカードを忘れた」と言って戻る。

そのまま戻り続けること1時間半。

ジャスパーまで20数キロの看板を過ぎる。あと少し、まだ間に合う。途中、隣で寝ていた人にもしかして気が付かなかっただろうかと尋ねるがやはり無理な頼み。このときリタイアを半分覚悟していたので、Good luck.と言って別れた。

6時半ごろ84時間の女性を含む2人に会った。仮眠所に置いてきたことを説明し、どうやって追いかけても一緒に走れないなと寂しく思いながら頑張ってと告げると、撤収スタッフが持ってくるだろうから、先に進めばいい。とのこと。一緒に行こう、と言ってくれた。

え?一瞬戸惑いました。撤収スタッフ気が付かないかもという不安もあったのですが、先の会話の雰囲気では何か手筈を知っているのかも知れない。一緒に行こうと言われたことが嬉しかった。そこで、付いて行くことに。

何だか多めに走ったようだけど、食べ物ある?とか、気にしてくれる。ありがとう、その辺はしっかりあったりする。

▲ボウ峠から展望台へ続く道

▲ここの山は総じて大きな岩山

▲山の窪みに堆積した氷河

▲昔は3本あったクロウフット氷河

▲岩山から砕けて積った砂礫とボウ湖

▲段々暮れてきました。岩の断層がよく見えます。

▲レイクルイーズで、あたりは暗くなっていた

4・5km緩い登りを走るうちにこの地区で見かけた車を発見。合図して先へ行ってしまうので、追いかけようとすると、広いところで待ってくれるのだよ、と言われる。

数百m進むと車を止め待っていてくれて、見覚えのあるパスケースを振り上げていてくれた。

「助かった。」

お礼を言い、少し喋って先へ進むことに。このスタッフの方、後々までずっと気に掛けてくれました。宴会で写真を取らせてもらいました。

アメリカの女性は朝から元気がよいらしく、元々朝が不調な私と正反対。彼女は時間を急がないといけないはずなので先に行ってほしいのだが、気温が上がるにつれ遅くなる私を気にしてくれる。

重い物を持って登り坂をさくさくと上ってランドネを楽しんでいる。凄いクラスはこうやって1200を走るのか、と思いつつ眠い頭で見送りました。後で追いつくつもりだから先に行ってて、と言って先に進んでもらうことに。ボーっとした頭で喋っている中で発音を間違えたらしく、失礼な言い方をしてしまうが、軽く訂正される。

彼等と一緒に走れたこの数十kmが一番楽しかった。

朝の9時ごろでも私には十分暑いので、ウェアの選択を間違えたなと思いつつも、次までは時間も残っているのでゆっくり行くことに。側道の路面は荒れて走り難く車道は比較的走り易いが、車が高速で走るので近づくと警笛を鳴らされる。

ここの大陸内部の気候は、いつもの海洋性気候の日本とは違い空気が非常に乾燥しているので、ペースを上げて呼吸を荒くして走ると喉が痛い。そのための水を飲むと、暑さに応じて汗が余分に出て、体内の塩分が余分に排出され体調が狂う。

結局、ビューティクリークに11:10頃着。短い区間なのに往復に近い動きをし疲れてしまった。1時間ほど寝ようとすると、随分先に着いていた2人も長居するらしい。

食事と仮眠をすることに。このあたりはいつもどおり。沢山食べて、次に備えた。一応の峠区間。暑いとは思いながらも、日本を出発した時のような湿度のある37℃ほど辛くないだろうと軽く見ていて、峠区間と重なってあとで大変な目に合います。

1時間後に起きたら残る走者は私だけ。とりあえず山間部は猛烈に暑いので、薄着にしたらいいというのと、最高のサンスクリーンをべったり塗っておいたほうがいいとKさんにアドバイスをもらったので、夏レースの格好で登ることに。

怪我予防のため、私は薄着での乗車をあまり好まないが、内陸性の乾燥しきった空気がどう影響するのか不安で珍しく手足のカバーも外して挑むことに。ここのクローズタイムの13:00頃出発。忘れ物がなければ6時ごろ着いたはずが、贅沢にも貯金を使いきって氷河を載せた山を2度見してきたので仕方が無い。

10キロ程度進むとキューシートどおり、真昼の暑さの中、登りが開始した。こういうのは間違いであってほしいと思いながら峠を登り始めた。炎天下の岩場の道を進むうち、なぜこんな灼熱地獄で登坂を追い込まないといけないのだろうかと思いつつ、やはりいつもどおり自転車を降りた。滝で遊ぶ子供を横目にトボトボと歩き、ようやく走れそうなところだと思って乗りなおしたら、道は直ぐ下りになった。PC撤収車は既に追い越して行ったので、後にも先にも関係者は私だけ。完全な個人旅行の自転車ツーリングモードを満喫していた。

次のPCリミットを考えると、時速10kmで進めばいいのであって、日暮れの16:00くらいまで氷原の脇で涼んでいても間に合うのである。登りと暑さと渇きでグロッキーになっていた。綺麗な景色の中、すれ違う自転車乗りの足取りを見て何だか自分だけ変だと思いながら、さっきから遠くに見える氷原のバスセンターを目指す。

有名な大氷原の前にある店で休憩。

塩分補充のためと思い自販機でナッツを買ったが、出てきたものを見ると砂糖漬け。暗い自販機中身の文字がよく見えず失敗した。観光客が行き交う中で、中の商品見たさにヘッドライト全開で自販機をのぞく訳にもいくまいと思い遠慮したのがいけなかった。とりあえず適当な大きさの菓子がないので諦めることに。

コーラかジュースを買おうと思ったが、日本と違い自販はどれも硬貨専用。さっきの甘いナッツで手持ちの硬貨が足りなくなったので、小銭を作るために土産物の店へ。いろいろ並んでおり欲しいものもあったが、持って走れないのでピンバッジを購入。レジには両替不可と書いてなかったので、両替してくれたかもしれないが記念に購入した。

融け続ける氷河の水が自販機で売っていた。温暖化の影響ってこんなところに出るのだと衝撃的に思った。自販機の前でジュースとコーラを迷っていると、同じく買おうとしている人に、「どれが50セント硬貨?」と聞かれる。私もどれが50セントかを知らない。25セントを2枚掴んで、これで50セント。辛うじて地元の自転車乗りに見てもらえたのかしらん。

氷河の観光センターを出て道を横断しようと、トラックが通り過ぎるのを待つ間、距離合わせのために止めていた距離メーターを戻そうとして、普通にリセットしてしまった。あああ!!やっちゃった。数十キロの間、止めておいた意味は全く無くなった。まあ、仕方がない。この先は総距離計なしです。

コーラを飲んでヘタレていた気合いも復活し、気持ちもリセットしたつもりで、一気に加速、と言いたいところだが、未だ気温が高いので無理は禁物、暫く岩山のドライな路面と湖の淵を行ったりきたりしながら、豪快な下りと緩い坂をゆっくり登ります。途中、景色がいいなーと思ってゆっくりしていると丁度スタッフがカメラを構えられていたりした。

ある谷間の区間で、山へ向けていた顔を前へ戻すと、目の前に熊が。道路に車が居ないうちに道を横断するようです。でも自転車が居ました。どうするのか。目を合わせて近距離で対峙すれば、敵と思われかねません。

昼間なのでぼんやりしている熊を怒らせずにやり過ごした。

まだまだ暑いのでとりあえずキューシートにある店を見つけたら休みます。ここで一旦、84時間の二人に追いつくが、一緒に走れるような気力はありません。

山岳部の国定自然地区らしく、先の黒熊の他に、意外と近くまで逃げないリス、岩場で跳ねるオジロジカを見かけた。

途中、タイヤが見えない位の大きなランドナーバックを6個積んだ方とすれ違いました。「Good luck!!」と言われたので、同じように挨拶しました。その方は年配の女性の方でした。こちらが快速ならば、向こう車線はかなりしんどいはずです。この街道のどこから来て、どこまで行くのでしょうか。ボウ峠を登る半ばで、小旗つきのキャリーカーの自転車の方とすれ違いました。この方もどこかへ向かう途中だったのでしょう。もしかして過去の参加者かな。

すれ違うランドナーを結構見かけたので、もともと休日のツーリングは盛んで、遠出ともなればモーテルに宿泊しながらツーリングする過ごし方が文化的に定着しているのだろうと思った。

ボウ峠のピークで20時頃、ようやく時間に余裕が出来たので、観光気分で写真を撮り始めました。道を離れるとペイトー湖という観光ポイントがあるのですが、離れた最後尾でそれはどうかということで、諦めて道路際での撮影。

レイクルイーズでは、ラストランナーの到着だと呼び込まれました。BCの時刻で21:40頃。大きな集団とは2・3時間くらい開きがある様子。クローズまで6時間近くあるけれども、これでも遅いか、確かに。と思いながら、行程を見透かされたような気がしましたが、すぐに発つ用意を進める。到着時にまだ居たアメリカの女性も気にしてくれ、あまり眠くないので、ゴールデンで寝る予定で進む。

ライトを交換し、チェーンに油を差し、空気を入れなおし、ウェアを交換する。補給食の追加補充を忘れる。

町の出口では、予想以上にきれいな裏道だったので不安な気が先立ち、何度か行き来しながら今いる道が正しいと分かった時は22:40頃になっていた。

キャスルマウンテンジャンクションでも、ラストランナー。0:58。ここへ来るまでに多くの方とすれ違った。中には女性の単走の方も居た。ここは景観用に野外設営なので、設営が5時までとは言え、あまり遅くなっては申し訳ないと思いつつすぐ来たつもりだったが結構時間がかかった。肝心のMt.Castleは暗闇にうっすらと浮かぶ稜線しか見えず。夜中の1時ではしかたない。

ブルベカードは持っているよね、と冗談交じりに釘を刺されて出発。

通報が回っていたようです。暫くしてスタッフが見送ってくれました。ありがたい。目の前で鹿の親子が横断するような暗闇の静かな道。幹線国道に出るまでは必死に漕ぎます。

幹線国道に戻り、登り基調でキッキングホース峠を目指します。馬を蹴り続ける峠なんて、何だか過酷さを連想させる名です。逆から上る方が坂はきつい。事前調査では、この辺で大陸分水嶺が見られたはずだが、ここまで来ると走行予定と実際はかなりずれており、2時半での通過は全くの予想外だったと思いながら、時間があったら見たいと思っていた観光地のある交差点を越え、静寂な深夜の国道を進みます。国定公園内のためここも全くの暗闇です。じきに緩やかな峠を越えました。

ヨーホー国立公園区間では、数匹のヤギの集団が何箇所か国道に出てきていた。車は高速道路なので、相当の速度で通り過ぎます。ヤギは車が通り過ぎて道路が静寂に戻ると、一息ついて、道端でわらわらと広がる生活をしているようです。まだ自転車が残っているのですが、大型のヤギには小さな自転車のことはあまり気にしてもらえません。自転車も下りなので相当の速度が出ています。道がいいので60km/h超過です。自然公園のど真ん中なのかなと思いながら、減速して下ります。

この辺りで、雨に降られた。降り始めのスリップは怖いが、ポツポツだし下りきるまでは雨具はいいかと思いながら打たれながら降りて行った。10kmほど続く坂を降りたフィールドまで来たら雨は止んでいた。

フィールドを越え、平坦地に入ってもなかなか速度が上がらない。設定ルートより4時間余分に走ったのが疲れの原因だろうなと自分で労わりながら、ゴールデンに至る道路情報を待ちます。

段々と夜が白んで来ました。ゴールデンに近づくにつれ道が採石場に迷い込んだように悪くなってきます。事前に調べた地形と道を思い出しながらも心配になり、ゴールデンの町を越えていないか確認のため対向車線の路肩に入って谷を覗きます。

ゴールデンの町に入り、自分で用意したコマ図を確認しながら進みます。5:30頃着きました。

4:3日目〜Finish

疲れと体調維持。

ゴールデンで食事を取ろうとすると、日本人の2人に会います。先に行ったと思われていたが、自らのトラブルでここに居ます、ちょっと寝てから追いかけると告げます。そこでスパゲッティを食べている間にメニューが朝食に変わりました。

ボランティアの方の中に日本語を話せる方がお見えでした。何だか嬉しかった。フランスでもカナダでも、日本語はローカルな言葉です。

その方に日本製の日焼け止めをこれ違うかと提示されたのですが、あまりに見慣れているのと眠りたいばかりで何も深く考えずに違うと言い切ってしまった。後で気付いたのだが、先の日本人のではないかと言われたのだったと。次のPCで会った本人に聞いたらどっかに忘れてきたというので、200km手前にある、と伝えてブーイングされる。

ゴールデンでは食べてから45分程度寝て、ウェアを平野モードに戻し、出発準備を進めた。

アメリカの2人は未だかと思いベールモントから来ている担当外のボランティアの方に聴くが、見かけてない様子。出ようとする際に会ったので、また捕まる予定で先に行くと告げて別れる。どっかに宿泊していたようで、かなり元気な雰囲気に比べ、こちらは疲れが残っている。やだな年のせいかな。まだ峠があるらしいが、私はあまりにも意識してない。これがいつもの誤算なのだが、8時近くに出発。次のレヴェルストックまでの道は意外と高原道路だった。

ゆっくり登って、ゆっくり降りる。

ロガース峠手前に喉に悪いドライヒートエアの過酷な山岳部分もあるのですが、その手前は普通の森林区間。登坂が続く中、パンクに遭っている人に声をかけると、問題ないとの合図。追い越される別の人に日本の5人は皆一緒に来たのかと聞かれ、各自で来たというが、道幅が狭いのと車がうるさいのとで会話にならない。

森林区間を登りきると雨に降られた。一旦下る箇所に差し掛かったので、体を冷やさないよう合羽を着ようかと思い路肩に停車するが、雲を見ると雨雲は向かう方向とは違うところへ流れているので雨合羽を広げるほどでもない。降り始めでのスリップを嫌い、雨に打たれながら、後続まだ来ないな、と思いつつ暫し補給しながら休憩。

ロガース峠に着く前に、岩場で真昼ゾーンに差し掛かってしまった。

激しい直射日光を受けた腕がアームカバーの下で意図しない変化をしたので、風に当てることに。路肩がことさら狭いので対向車線へ一旦退避し、アームカバーを外してサンスクリーンを塗り直す。暑い分だけ普段より多く汗をかき、その分、体内の塩分も余分に排出される。この乾いた空気のおかげで、同じ暑さでも昼間の走行が体にきつい。体内の塩分が足りているのか不安に思いながら、何度か停車してこまめに補給をする。

どうにかなる初日、2日目と違い3日目からは体調の細かい変化を無視すると走れない。

ここでは高速道路であっても自転車を意識して車が減速、遠巻き運転してくれるので、その辺は安心していられる。明らかに自分が遅すぎる場合は、追い越さずにいる大型車を止まって見送ることも。斜線ごとに仕切られた狭いトンネルで、トレーラーの通過時にこちらは風で揺すられる。5つ抜けて暫くするとピークのコンビニに着いた。

ここでは、馬力のあるピックアップカーがキャンピングユニットを牽引するか、キャンピングカーにセダンを牽引させている。自走車で自走車を連結するという後者の形は日本では見たことが無かった。

スタート地点からジャスパーへ向かう高速5号では、巨木を山のように積んだトラックが沢山走っていた。2つに分かれたトレーラー形式で、荷台が空になった復路の車両は、燃費をよくするためか後ろ半分のトレーラーを前の車両の荷台部分に乗せていた。

他にもどこまで行くのか分からないが、荷台から大きくはみ出した工事用の重機や、橋梁の部品のようなものが沢山走っていた。前には同じように先導カーが居る、たまに前の先導車が離れすぎている場合もあるが気にしない。

トレーラーもトラックも日本より大きい。

日本でよく見るトレーラーは25m程度のところ、更に数m長いようで、全長30m以上あるよう?速度域も異なるが、追い越されるときの風圧からハンドルを戻すタイミングがいつもと違う。感覚的に「あれ、後輪まだ?」と思う程には、違いがある。

ロガースパスのコンビニでは、沢山の人が日陰にたむろし、いつものブルベっぽくなっていた。先人が余った氷と水を分けてくれたので、もらうことに。タンデムの方に、ここは乾いていて暑いです、と悲鳴を上げたら、皆そうですよ、と諭される。2人で息を合わせて出発されていった。

塩分補給のため、今度こそ塩ナッツを買い、日陰で水分と一緒に食べる。随分と体内の塩分濃度が下がっていたようで、摂取した塩分のせいで舌先がやけどのような状態になるが、体調は回復した。

ここを過ぎると下る一方。眠くはないが、頭に疲労感があるので、カフェインを半分飲む。でも、あまりすっきりしない。ちょうどまた通り雨が降ってきたので、キューシートに記載のあるポイントに立ち寄り、キャンプサイトの入り口にあった木の下の石に腰掛けて20分ほど雨宿りをして休む。その間さっき見かけたリカンベントの方を含め3人くらいが追い越していった。

下り基調とはいえ、路肩の路面は結構荒れているので漕がないと進まない。路面の状態のよさそうな白線の車線側に出たくても、車がほぼ50m間隔で連なっていて出る隙も無く、振り向いて切れ間を探すまでもない。土曜の行楽地周辺だから仕方がないか、と思いながら何も店のない公園内の幹線道路を進む。

ここのガードレールは日本のような鉄の柱に幅のある鋼鉄板を張った形式ではなく、腰くらいの高さのコンクリートの塊の塀のようなものだった。森林側が道路側の影響を受け難いようで、向こう側を覗き込むと、すぐそこまで植生が保たれていた。道幅が広く傾斜が緩いため設置されていた、自然との重厚な境界線だった。

道によりけりだが、ここの下り区間は山側なのでそれも無く、道路の縁には道に沿って地面を掘っただけの側溝がある。中には溜まった水があったり、乾いた後だったりして、自転車を立てかけて休むような場所はない。

そうこうするうちに着いた次の町がレヴェルストックだった。市街地までは一気に下るが、いつもどおりセイフティにブレーキを多用して降りる。

街中を進み、何個目かの交差点でキューシートを確認していると、後ろから来た車に声を掛けられた。振り返ると見覚えのある顔。キャスルマウンテンジャンクションのスタッフの2人だった。軽く会釈する。

「ラストランナーがここまで上がってきたの」と驚嘆されましたが、中身はヘロヘロです。

PCに入ると日本人の2人に会います。疲れてくると日本語でもあまり喋る気がなくなります。乾いた空気で咳も出始めたのでうがいをし、顔を洗う鏡を見ると明らかに疲れていたので、少し寝てから追いかけると告げ別れます。自分用に調理してくれた目玉焼き・同じくトースト・ハム・牛乳・バナナ・オレンジ。いつもどおり沢山食べます。ボトルの水も補充し、また仮眠した。

ジャスパー以降どこでも眠れるのがこのロッキーマウンテンのPC設営の凄いところ。自分は集団から離れて走行していたため仮眠所はどこも空いており、受付時に耳栓までもらい、お願いした時間に起こしてもらえたので、睡眠の充実がよい。PCでは美味しい食べ物が沢山用意されていたので、食べた後は時間がある限り何度でも寝たくなります。用意する側はかなりの労力だろうと思いながらも、ありがたく活用させてもらいました。

寝るとすぐに時間が過ぎましたが、頭もすっきりし、目の状態がよくなりました。出発しようとしたら、84時間の2人が来ました。相変わらず大きな荷物に関係なく全く疲れてなさそう。体の構造は一体どうなっているのだ?と思いながら挨拶して先に出ます。

既に随分と前から足が痛くなっていたのですが、止まってストレッチをすると回復することに気づき、PCでほぐしておいたので、立ち漕ぎができるようになっていた。長い時間シッティングを続けるから駄目なのだろうか、と思いつつも、暫くの長い平坦部でダンシングせずに居たら、またすぐ痛さで立てなくなった。

途中で、道路管理者というよりレンジャーらしき人が道端に止まって何かしている。

事故かなと思い近づくと、グリズリーベアーの死骸が道路脇の側溝にあった。

これをこれからどうするのだろう、と思いつつ通り過ぎる。

そのうち、日暮れの時間になり、ライトを着けるため一旦停止する。ついでに明るいうちにタイヤに異常がないか確認する。ここまで無パンク。無事に今夜の夜間走行に耐えてくれれば助かるのである。

ShuswapLake

異常の無いタイヤを眺めていたら、付近を走っていたカナダの3人連れの方たちが心配してくれたようでした。しかし、一緒に行けるほど足が残っていないので、彼らから徐々に遅れながら緩い下りの平坦地を進みます。緩い坂だから、もしかして、このまま足を止めても進むのではないかと思い、足を止めると20kmまで落ちるが、自重だけで一応転がってくれる。しかし、時間のロスなので漕がなくてはいけません。暫く変わらない景色の中、次の曲がるポイントまで行きます。

夕暮れに差し掛かった時、町外れのガソリンスタンドの対向車線に親指を立てて座り、ただ待ち続けるヒッチハイカーを見かけた。どこまで行くのだろうと、振り返ってプレートを見るとカルガリーの文字が。ここからだと自転車で2日目には着くかな。と換算しながら、この時間以降ここで取り残されると辛いのだろうけど、何か楽しみながらやっているのでしょう。ゴールデンの町を出るときにも居たヒッチハイカーと雰囲気が似ていた。

シカモスの町で街道を換え南下する。夕暮れの9時頃、町は夕食時で、いい匂いが漂ってきた。番号をつけたバイクがオープンテラスの壁に立掛けられて、中で補給している人もいる様子。チャイニーズキュイジーヌと書かれたネオン文字の横に漢字のネオンで「酒」の字が。一瞬寄ろうかと考えてしまった。ここで食べると眠くなるので、さっきの曲がり角に居たスタッフの「何か食べるといいよ」の言葉を傍らに、補給食をつまんで先に進む。しかし、じきに空腹が過ぎて補給食を食べつくしてしまった。

市街地が終わる頃、湖の脇へ出た。日没直前の湖を見ると、湖面には流れがあるように見える。カムループスに至る川と繋がる細く大きい湖だった。

そのうち日が完全に沈み、沿道の店も閉まっているところが増えてきた。暗くなってきてレッグカバーを着ける。ここでは随分と気温も暖かくなっており、水辺なので空気にも適度に湿気があって穏やかな気候だった。

随分と空腹を感じながら、エンダービーを目指す。次のPCは折り返しで来た道を暫く戻り、ある交差点で曲がってサーモンアームズへ向かうのですが、その交差点を過ぎても誰ともすれ違わない。皆は、もう次へ行ったのか、と思いながら進む。市街地を結構進んだところで、ロガース峠でお会いしたタンデムの2人とすれ違った。

PCに入ると食事を摂り、眠いのでまた仮眠します。暫く起きそうに無い日本人の2人と一緒に起こしてもらうようにお願いし寝た。1時間くらい寝て起きたら12時半過ぎだった。かなりすっきりし、サーモンアームズでは寝なくてもカムループスに着けそうだ。これで翌日の午前中にカムループスへ帰還できる目処が立った。

入ってきたときに居た10人前後の集団は皆発った後だった。ここのスタッフの方はスタート直後のPC、クリアリバーも担当で私のことを覚えていて、この人ラストランナーだったのに、と言われます。こっちはすっかり忘れていたのに。1時ごろ出発。

  線路の向こうにカムループスへ至る川

サーモンアームズへ行くまで、2人と一緒に走らせてもらいます。途中、アメリカの2人とすれ違います。軽口を言いながら、坂がきつくなってくると身軽な二人に置いて行かれます。ストレッチしたばかりでも、膝の上が痛くて付いていけない。平坦地で緩めてもらって追いつく。サーモンアームズの町はすぐ近くで、深夜の市街地へ入ると地図では分からないアップダウンが繰り返し、キューシートを見ながら道路の通り名を目で追いながら進むのが小忙しい。やがてバイクの並ぶ建物に到着。入り口の壁にはカーリングの画。恐らく地元ではメジャーな遊びなのですね。

サーモンアームズでは、残り110km余りを一気に走るつもりで補給する。現状での自分の目標完走タイムはかなり遅刻ながらも、壁に貼られた通過状況を見て、前方に居る方のその速さに驚かされる。出口では出発時間を記録された。

サーモンアームズの街を出てすぐに、ここから作れる目標時間を今更ながら気にして別行動で行かせてもらった。とは言え、膝が痛くてそんなに走れない。初日の走り方を間違えたなと反省しながら、使ってない筋を使って走る。

段々と夜が白んできた。小さな町は6時のチャイムが鳴ってもまだ静かで、長く連なる貨物列車のゆっくり走る音が、通り過ぎる町にゴトゴト響いていた。牧場では茶色いジャージー牛の群れが昼夜を問わずに草を食んでおり、広域な畑では機械が自動で水を撒いていた。

残り50km。

あと僅かだし、頑張って漕ぐか、と思い補給食を食べて上着を脱ぐが、向かい風が続き意外と寒くてすぐに着なおす。風で20km以上出ないと消沈していたり、後ろから日本かアメリカの快速列車が来ないかなと期待しながら進む。

数十キロ区間同じ向かい風を浴びながら遅々として進まない。メーターを見れば20km/h以上はあまり出てない中、見渡す景色の先までこのペースで居ることに耐えられるのは、脚力もだが、仲間と一緒に走るからこそ、苦しい道のりも克服できるし、綺麗な景色も感動でき、思い出深いものになるだろうと思っていた。大陸で鍛えられた人は脚だけじゃなく、意志が強いのだろうかと思いながら踏んでいた。残り僅かだと思うと余計に力が入り、疲れる割になかなか速度が出ないことに焦りを感じることで疲れていた。

97号と合流すると市街地が近づいてきて、道が高速らしくなってきた。でも速度は上がらない。残り10kmを切る頃、朝練の人と思しきロードバイクにさらっと追い抜かれたので、少し速度を上げてみることに。10kmを切り町が近くなっても景色があまり変わらない。何でも大きいなと思いながら進む。

今なら76時間台になるかもしれない、と数キロだけ懸命に漕いだ。

どうにか、9時になる10分くらい前にカムループスの町へ。Finishのカーリング場では既にゴールした人を含め、お出迎えしてもらえました。500km地点付近でブルベカードを取りに戻ったときは、逆走を含め別の方法でここへ戻るつもりだったのが、無事完走したことに不思議な気分だった。

手続きしていると、既に終えていたNさんとTさんがビールで乾杯しに来てくれました。ありがたく乾杯。日本人の2人もじき着くと言いながら、一旦ホテルへ向かった。小綺麗になって寝ておきたかったが、パーティ開始時刻に起きる自信が無いので、寝ずに会場へ戻ってきた。その時点で既に日本人の2人が完走していた。アメリカの2人来ないかなと頭の片隅で思いながら会場の端で爆睡し、次に目が覚めたらやはりいつの間にか完走されていた。

5:Party会場で

▲窮地を助けてくれたスタッフとアメリカのタフな二人

▲2PCで会ったボランティアの方

▲DB回収のボランティアの方

夕方のパーティ会場をスタート・ゴールの建物と勘違いして集合してきたのは私とTさん。正しくは丘の上の大学の構内でした。撤収スタッフに乗せて行ってもらうことに。

そこでは、既に集まり始め、賑わっていた。会では、関係者や関係クラブの紹介をメインに司会が進み、主催メンバーに皆がスタンディングオーベーションで謝意を表します。

その合間に、一緒に走った2人とブルベカードでお世話になったスタッフの方の写真を撮り、今回は男女ともコースレコード更新で、2ショットもフレームに収めたが、疲れた頭で話しかけることが出来なかったのは残念です。

終了後、市街地の日本居酒屋で個人的な反省会をしました。                       

走り終えた感想

幹線道路とは言え穏やかな道で、綺麗な景色の中を走ることができ、非常に楽しみました。自然環境が日本と異なり大陸の内部気候であるため、山岳区間の空気が私の喉には痛いものもあり、無対策だったのもあり意外と苦しみました。個人的な旅行でもまた行きたいと思う絶景や夕陽や朝陽に彩られた綺麗な景色がたくさんある魅力的なコースでした。

またPCでの歓待は大きく、それは嬉しく感じました。それがあって無事に走ることが出来たと感じています。一方で、設営が重荷となってないか少し不安に思うくらいです。

▲いち早く完走して回復している根本さん

▲男女の新記録誕生。さすがに速い。

長距離サイクリングは誰かと一緒に走れることが、一番楽しいものだと思います。ランドネの魅力は、車とは違ったペースでの景色の楽しみ方や、事前の練習も含め自分の行程を自分でコントロールする事も楽しいですが、最大の魅力は、仲間と互いに協力し数泊かけて長距離ツーリングすることで、非日常的な時間を過ごせるのが一番楽しいところだと思います。私は今回も単走で参加しましたが、多くの方とお会いすることが出来、他の参加者の方と一緒に走れたことが嬉しかったです。もし私がもう少し速ければもっと時間を気にして走り、一緒に長い区間を走りたいと思います。

開催して頂いた主催者の方と、ボランティアの方に多大に感謝しています。

これからも永く無事故で開催されることを祈りながら、今回お会いした多くの方にまたどこかでお会いできることを心待ちに、自転車に乗りたいと思います。

(文章について)

この走行記は個人的な走行における感想で、内容に含まれる情報を参考にされても責任は負えません。また、走っているときはこんなに余裕はありませんが、思い出に過分に浸りながら記録してあります。文章中の表現に若干余裕が見られるかもしれませんが、実際は大変でした。

2008.09.05 Randonneurs Club 名古屋 尾澤千恵子

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