台湾1200

~無限アップダウン、あるいは台湾ランドヌールたちとの出会い~


白 川  克
HOME  ▲戻る
INDEX
 

プロローグ(2013年3月27日 1:00)

ブルベで厳しい状況に陥ると、決まって家に残してきた奥さんと娘のことを考える。家族3人で過ごす穏やかな休日を。

台湾の国道3号、標高900m辺りを延々20㎞登っていた時もそうだった。
真夜中の土砂降り。スタート以来1000㎞走り、4つの峠と1000回くらいのアップダウンを越えてきた。ここまで合計3時間しか寝ていない。
僕の少し前には、これまでの道のりで何度も一緒に走ってくれた台湾人ランドヌール3人組。わけの分からない北京語を叫びながらゆっくりと坂を上がっていく。彼らだってしんどいのだ。

しんどくなると家族のことを考えるのは、矛盾した、身勝手な習慣だと思う。家族と食べる温かい夕食など、ブルベにエントリーしさえしなければ、いくらでも手に入るのだから。
それでも2010年以来、僕はなぜか何度も家族を放り出し、ブルベにエントリーし続けている。最初は恐る恐る200㎞を。そして400、600・・。
徐々に肥大していく困難への空腹感は、ついには僕をこの異国の嵐の峠まで連れてきていた。

page top

エントリーと準備 (2013年1月~3月)

台湾で1200が開催されると聞いたのは、九州1000に来ていた台湾人達からだった。スタート前日の懇親会で話題になったのだ。台湾でもチェックポイントはやはりコンビニを使うこと。都市部を走る1000に比べ、春に予定している1200は丘陵地帯を走る、とてもいいコースだということ。
しかしその時は、文字通り「どこか異国での話」に過ぎず、自分が出るとは全然考えていなかった。

その時の九州1000は台風が直撃し、僕はDNFした。400㎞までとても好調に走れていたのに、安全のためという自分への言い訳で、心が折れてしまったのだ。そして「自分の全てを出しきれなかった」という思いは、チクチクと心に蓄積し、次のチャレンジを求めて数ヶ月を悶々と過ごした後の2012年12月、開催の3ヶ月前に出走を決心した。

海外ブルベでは、エントリー自体が結構厄介な峠になる。
ランドヌール台湾のWebサイトはかなり作りこんであり、エントリーやこれまでの認定記録確認などは全てサイト上で出来るようになっている。
国民1人づつ採番されているID番号を求められる所でつまづき、メールでのサポートを必要としたが、何とか期限までにエントリー完了。エントリー代金の振込や保険の証明などの外国人には難しい所は当日OKにしてくれるなど、随分と融通をきかせてくれたようだ。

台湾の長距離ブルベに日本から出走する時にもう一つ厄介なのは季節である。3月は南国台湾では1番走りやすい季節なんだと思う。台風も来ないし。ただ、日本ではブルベシーズンが始まったばかり。僕は結局200を3本ほど走っただけで、いきなり1200を走ることになってしまった。
こればっかりはしょうがない。これまで作ってきた地脚を信じるしかない。せめてローラー台になるべく乗ろうと思ったが、それすら仕事が忙しくて週に数回だった。

もう一つ厄介だったのは、ルートである。
ルートラボ的なサイトで主催者がコースを発表してくれていたし、GPSデータもダウンロードできるようだった。だが、僕はこれまでGPSは使ったことがない。キューシートかコマ図で走るのが好きなのだ。

台湾ブルベではGPSの利用がほぼ前提らしく、主催者発表のキューシートは通過都市とチェックポイントだけが書かれた、粗いものだけ。出走までの土日は、Google mapを見ながら自力でコマ図を起こす作業でほとんど潰れてしまった。まあ、こういう予習もベルベの楽しみの一つだと思ってるからこそ、GPS使っていないんだけどね。
【写真1:苦心の手書きコマ図】  

1つとてもありがたかったのは、今回の参加ガイドを日本語訳してくれていたこと。これに限らず、「海外からなるべく多くの人に来てもらおう」という心意気を随所に感じた。
ライトやベルなどの必須装備などは、だいたい日本と同じ。面白かったのは、信号無視や並走などをした場合に「2時間の加算」などと罰則が一つ一つ決まっていたこと。
そして「イベント参加中、農作物を採らないでください。違反した場合、資格を取り消します。」というただし書き。過去にマンゴーでも盗んだランドヌールがいたのだろうか・・。

page top

台湾入り(22日 12:00)

海外ブルベでの心配事は他にもいろいろある。例えば飛行機輪行。沖縄ブルベに2年連続で出ていたので経験はあったのだが、海外便では乱暴さが違うと聞いていた。
仕方なく、輪行袋をいつものペラペラではなく、クッション付きを購入。ブルベ中はホテルに保管してもらうことになる。
【写真2:飛行機輪行は定番のオーストリッチ500で】 

それでもリア・ディレイラーだけは不安なので、取り外し、半分に切ったペットボトルに格納。着脱は慣れれば簡単。
それより苦労したのが、重量制限。中華航空は20㎞以上は追加料金なので、何度も体重計に乗って重量確認。重いものはなるべく機内持ち込みできるバックパックに入れようと思うんだけど、オイルとか予備チェーンとか、重いものはことごとく機内持ち込みNGっぽい。悩ましい。
【写真3:飛行機輪行のディレイラー処理】 

今回のスタート地点は台湾のほぼ最南端、屏東。台北近くの飛行機からは数年前に開通した新幹線で2時間程度。数日後に自転車でまた台北まで来て戻ると思うと不思議な気分。新幹線は日本製らしく、トイレなどのディテールもそっくり。
【写真4:快適な台湾新幹線】

スタート地点すぐ近くの屏東のホテルに着き、自転車を組み立てるともう夜なので、その辺でご飯。お店では英語は全く通じないが、メニューは漢字だからなんとなく想像できる。現物を指さしてもいいし。台湾のご飯はなんでも上手い。豚足や臓物を醤油味で煮込んだものが名物らしい。

【写真5:どこも、半分屋台みたいな店構え】 【写真6:これで500円くらい】



その後、自転車のチェックを兼ねて明日のスタート地点の大鵬湾まで行ってみると、周辺の道路にはブルベ開催を知らせるノボリが何十本も!
どうやら、この大鵬湾を舞台にこの1ヶ月でいくつかの自転車イベントが開かれるらしく、その一環で自治体のバックアップを受けているようだ。
台湾は今や世界一の高級自転車生産大国なのだが、その割に、屏東市内でスポーツ自転車に乗っている人はほとんど見ない(北部に行くと結構いるが)。
だからか、官民一体となって、なんとか自転車ブームを盛り上げようという意図を感じる。ブルベでもスタート時は白バイ先導などもある。どちらかと言うとひっそりと趣味の世界で開催されている日本のブルベとは、社会の中での位置付けも随分と違うようだ。
【写真7:「大鵬湾 自行車1200公里認證」がはためく】 

page top

華やかなスタートイベント(23日 18:00)

参加ガイドを読んで参ったな、と思っていたのが夜スタートなこと。恐らく南部の暑い地域を夜のうちに通過して欲しい、という意図なのだろう。(または、PBPをかなり意識したコース設計なので、そのあたりも真似をしたのかな?)
スタート直前までホテルで寝ていようと思ったのだが、なんと朝7時に起きてしまった。日本だと会社に行く時間。やれやれ、サラリーマン過ぎるだろ、俺・・。

しかたがないので、市内をぶらぶらして時間を潰す。
それにしても、日中は暑い。

【写真8:今回の補給食はおばちゃん達が作る団子。美味】 【写真9:名物のカラスミを干している】

日が陰った頃に、スタート地点の大鵬大橋に向かう。ちょうど別のホテルに泊まっていた吉田さん、北山さんと一緒になり、日本代表チームが無事集合。
だが、スタート地点に行っても誰もいない・・。
ウロウロしていると今回の主催者、台湾ランドヌール代表のジャックから携帯に電話があり、スタート地点は橋ではないと。どうやら、湾の反対側の、ゴール地点がスタート地点にもなったらしい。今から迎えをやるから安心しろと。
今思えば、「日本人は事情を知らないが、何故か現地人は全員把握していて、色々と手を回してくれる」という現象はここから始まっていたのだった。
(ちなみに、ジャックは台湾人。グローバルで仕事をしている中国/台湾の人は、たいてい英語名を持っています。欧米人に覚えてもらえないから)


スタート地点はちょっとしたお祭りムードだった。慌ただしくドロップバッグを預けたり、参加費を払ったり、記念品を受け取ったり。自転車とヘルメットには参加番号を貼り付けるルールらしい。
日本からのお土産として、お菓子とランドヌール誌、ロングライダース誌を贈呈。写真とイラストだけで、ブルベについての本だと分かるだろうし。

スタート1時間前に出走手続きが終わり、海鮮おかゆを頂いてようやくくつろぎ、参加者と談笑。日本勢3人以外にも、海外からはアメリカ、スウェーデン、オーストラリア。PBPを50時間で走ったというおじさんなんかもいて、自分の脚力が不安になる。結構な山岳コースらしいが、イケるのだろうか・・

【写真10:参加者と見送りの人々でごった返している】 【写真11:日本チームと、写真好きの台湾おじさん】

スタート直前には、台湾で最初の1200㎞の開催という気合が感じられる、華やかなブリーフィング。
舞台の上から司会者や関係者が、出走者をあおる(たぶん)。頑張れ!とか力強く叫ぶ(たぶん)。台湾の人はよく喋るなぁ。主催者のジャックが僕ら日本人ランドヌールの事も紹介してくれる。ちょっと照れる(ここだけ英語)。

そしていよいよ、カウントダウンがあり、白バイ先導でスタート。これから4日間の旅の始まりだ。

【写真12:いつもの会社チャリ部ジャージと、同カラーリングのケルビム】 【写真13:このゲートをゴールの時に再びくぐるのを楽しみに】

page top

蒸し暑い夜道をかっ飛んでいく台湾人たち
 スタート~PC3(196㎞。24日 4:00)

【地図1:最初に最南端をぐるりと巡り、あとはひたすら北上】
                   【地図2:最初の200㎞だけ平坦。それ以降は・・】


 
【写真14:このブルベの象徴、大鵬大橋】   【写真15:早くも最後尾】

大鵬湾をぐるりと巡る、周回道路を集団走行。大きな湾(というか湖)なので、1周10㎞ほどあるのだが、ド平坦で信号も車通りもほとんどない。日本にあったらタイムトライアルのメッカになるだろう。
スタート地点は変更されたけど、ちゃんと当初のスタート地点、大鵬大橋は渡るようだ。これで本来のコースに復帰して一安心。いきなりサイコンの距離は4㎞ずれたけど。

橋を渡った時点で、日本人チームは早くも最後尾。なんだかペースがやけに速い。僕ら以外は全員、時速30㎞オーバー。「1200走るペースじゃないよね」「あいつら、すぐにやられるパターンだな」と話しながら、マイペースで進む。


台湾の国道はとても走りやすい。信号も少ないし、道幅が広い上に2輪車用のレーンも完備されている。ちょっと蒸し暑いので、水を頭にかけながら走る。夜中でこの調子だと、昼が恐ろしい。

台湾南部を走る人が誰もが最初に気づくのは「檳榔屋」が異常に多いことだ。檳榔というのは噛みタバコみたいに噛む、興奮作用がある植物の実らしい。噛んだカスは赤茶色で、たまに道に吐き散らかしてある。
夜に派手なネオンの店が出るのだが、それにしても数が多い。このブルベで1000軒くらい見た気がする。単価も安いし、あまり買っている人も見ない。儲かるのだろうか?
さらに走ると、お祭り?夜市?でごった返す街を通過。昼は暑いからか、みんな宵っ張りである。

【写真16:怪しげな檳榔屋。怪しげなお姉さんが番をしている店が多い】 【写真17:台湾名物の夜市。撮影は北山さん】

スタートから100㎞ほど南下して、最南端をぐるりと周回してくるルート。昼間通ったら景色が良さそう、と思いながらほとんど何も見えない。それもまたブルベ。

ところが、どうも変だ。周回ルートのはずなのに、対向車線からばんばんランドヌールが来る。単純折り返しなら分かるけど、周回だとすれ違わないはずでは??
最南端を回った辺りで、なんのことはない、僕らがミスコースしていた事に気づいた。
この周回ルート、本当は時計回りが正しいのに、反時計で来てしまったのだ。
正しく時計回りでもう一回走るしかない。それがブルベだから。と悲壮な覚悟を決めてミスコース地点まで戻ると、主催スタッフが道端に立っている。そして「どっち周りでもいいよ」と神の声。思わず歓喜の握手。
僕ら3人は45㎞を走り直す覚悟を決めていたので、脱力。やれやれ。

気を取り直し、夜道をひた走る。道の左右はヤシ畑が続く田舎道。12時を超えると明け方まで全く車は通らなかった。これから718㎞地点の折り返しまではひたすら北上だ。

page top

朝になり、穏やかな南国の道を行く
 PC3(196㎞)~PC5(291㎞。24日 10:38)

【写真18:強烈な向かい風でたなびくヤシの葉。やられ気味の日本チーム】

「あいつら、ブルベの走り方知らないんじゃないの?」とオーバーペースを心配していた台湾ランドヌール達は、200㎞走っても、いっこうにバテる様子を見せない。相変わらず最後尾。

逆に、強烈な向かい風で先にバテバテになったのは、僕ら日本チームだった。
ここまでで2.5時間の貯金は予定どおりだが、結構疲れている。そういえば、今年は200㎞までしか走ってないしな。というか、台湾に来る前は珍しく風邪を引いて、数週間自転車乗ってないし。こんな調子で大丈夫なんだろうか。

昼になっても、曇っているためか、標高が上がったせいか、心配していた暑さはさほどでもない。5つある峠の1つ目、標高625mはそれほど苦労せずにクリア。
面白いことに、台湾では峠に名前を付ける習慣が無さそう。いかにも「山脈越えます」という立派な峠なのに。

道中の風景は見ていて飽きない。日本と全体の雰囲気は似ているが、木々が熱帯性だったり、お寺がやけに派手だったりするからだ。
この辺りから、吉田さん北山さんからは先行させてもらう。

【写真19:こんなハデハデお堂がたくさんある。撮影は北山さん】 【写真20:峠を超えると、風景のご褒美が】

page top

素晴らしい風景の台湾3号線
 PC5(291㎞)~PC7(396㎞。24日 18:25)

PC5の辺りから、これから台北までの往復で700㎞くらい付き合う、3号線に合流する。3号は名前の通り台湾の主要国道のはずなのだが、日本の一桁国道をイメージしていると愕然とする。平野部の主要都市を結んで南北に走っている1号線とは異なり、少し山よりを通っているからだ。中央山脈近くの地形の凹凸を全て無視して強引に南北に通してある。
このコンセプト、どこか日本の「広域農道」に似ていませんか?茨城のビーフラインが大好きなマゾランドヌールは、是非台湾3号線を走るといいと思う。ビーフよりもかなりスケールの大きな、何百キロも続くアップダウンが愉しめる。
丘陵地帯のちょっとした都市を結ぶアップダウン。のどかな農村地域をめぐるアップダウン。人通りも稀な山里をぬう様に走る田舎道のアップダウン。インナーローで立ち漕ぎしないと登れないアップダウン。いずれにせよ、アップダウンである。これ以降、読むのが鬱陶しいと思うからイチイチ書かないけど、全部アップダウン。ずーっとアップダウン。ひたすらアップダウン。

【写真21:アップダウンなのに、道幅は広く走りやすい】 【写真22:のどかな田園風景が続く】

そして2つ目の峠、標高921m。峠が集落になっていて、小学校もあるようだ。道の周りを見ると、梨の様な涼しいところでとれる果物を栽培するために人が結構住んでいるらしい。この峠は、前菜のアップダウンで脚が削られているので相当苦労した。何より厳しいのは、2.5日後にもう一度来るという現実。

2つ目の峠を下り、つかの間の平坦を数時間走ると、楽しみにしていた396㎞地点の古坑に着く。ここは主催者が民宿を借りきってシャワーや仮眠所、ドロップバッグを提供してくれている。往路、復路共に寄ることになる。
本当はここに着くまでに貯金を4時間作るはずだった。序盤で2.5時間作った所までは順調だったし、2つの峠も何とかこなしたのだが、峠以外で稼ぐつもりが全部アップダウンだったので、逆に貯金を減らすはめに。
この「アップダウンでは時速15㎞以上で走れない」という、根本的な脚力の問題は、この後ずーっと僕を悩ませることになる。

思ったより時間がないとはいえ、民宿のおばさんの温かいご飯をいただき、シャワーを浴び、クローズタイムまでの1時間を熟睡し、かなりリフレッシュ。やはり最後尾だが、1日前とは違って、周囲に台湾人ランドヌールの姿はちらほら見える様になってきた。少しは追いついてきた?いや、彼らがへばってきたのだろう。
自分としてはまだまだ脚はよく回る。日本でブルベ走っている時も、300㎞過ぎてから調子出る事もあるし。

page top

台湾人3人組に混ぜてもらう
 PC7(396㎞)~PC10(625㎞。25日 11:00)

古坑の宿泊所を出ると、外は雨だった。台湾は暑い島なので、多少の雨は歓迎なのかもしれない。

しばらく走った所で、大きなミスに気づいた。古坑ではドロップバッグがあったので色々と荷物の入れ替えをしたのだが、その時にiPhoneの電源バッテリーを置いてきてしまったのだ。ガーミン等のGPS専用機を使わずにコマ図で走っている僕にとって、「もしかして迷ったかも」という時にiPhoneで現在地を確認するのは命綱だ。
もう一度古坑に戻ってくるのは26日の夜。2日後だ。それまでバッテリーが持つはずがない。自分でも意味が分からないのは、「忘れてきた」ではなく「熟考の末、置いておく結論に達した」ということ。過去のブルベでも300㎞を超えた辺りから、途端に判断力が鈍るのは感じていた。僕の場合、脚よりも先に頭が駄目になるということか・・。
日本では震災以降、ほとんどのコンビニで乾電池式の充電ツールが売っているが、ここは台湾である。これ以降、Twitterも写真もほとんどできなくなった。バッテリーが何より大事なのだから。

【写真23:旅は道連れ】
PC8の國姓を出たのが夜の1時。國姓と言えば「バレンタイン・キッス」ということで、頭の中でヘビーローテーション。僕が中学1年の時の曲だったか・・。
國姓を出てしばらくすると3つ目の峠(855m)だが、その登り口の辺りで3人組の台湾人と一緒になった。なるべく夜道は何人かと登りたいので、なんとなく混ぜてもらう。

今回のブルベで意外だったのは、片言レベルですら英語を使える人が少ないこと。英語で話かけてもあまり会話にならない。でもこの3人組は、1人が英語を、もう1人が超片言日本語を話せるようで、ゆっくりと話しながら峠を登る。
 「台湾の人、あまりロードバイク乗ってないね」
 「うーん、車やオートバイの方が人気あるね」
 「世界中に向けて、あんなに自転車作っているのに?」
 「ハハハ」
みたいな、他愛のない会話。
英語を話すのは結構脳みそを使うわけで、おかげで眠くならずにすむ。ありがたい。彼らはPCを出るときも「僕ら行くけど、どうするかい?」と声をかけてくれ、この後も何度も一緒に走った。

峠を下ってしばらくすると、夜明け。朝もやが甘ったるい匂いに満ちている。よく見れば、道の両側はずーっといちご畑。ちょうどシーズンらしい。あとで聞けば大湖といういちごの名産地で、シーズン中は台北にも大湖産いちごの販売車が来るらしい。
出走していたRUSA元代表マークのFacebookには「Strawberry fields forever」と。まさにそんな感じ。
早朝だったので1つくらい拝借して味見したいなと思ったが、規則にわざわざ書いてあった「農作物を採らないでください。違反した場合、資格を取り消します」を思い出す。危ない危ない。ブルベのルール以前の問題か。

【写真24:Strawberry fields forever】 【写真25:3人組といちご街道を行く】

page top

台湾のコンビニ

ここでちょっと一休みして、今後台湾ブルベを走る方の参考に、台湾のコンビニについて触れておこう。
台湾には日本以上の密度でコンビニがある。当然、有人以外のチェックポイントは日本と同様、コンビニである(世界で日本と台湾だけ?)。
レシートはもちろん、ブルベカードにスタンプを押して貰う。

1)都市部以外は、イートイン、トイレ、空気入れ完備。
全てのコンビニがミニストップ状態で、僕も何度か10分ほど仮眠させてもらった。大変助かる。中には店内で寝っ転がる強者もいたが、店員さんは特になにも言わない。総じて台湾の店員さんはおおらか。

【写真34:広々したイートイン】 【写真35:お姉さんランドヌーズも神経太いなぁ】


2)弁当はチルド系が充実

カップラーメン、おにぎり、おでんは日本とほぼ同じ。味は現地系なので、ヘタレている時に食べようとして「うっ」となることがたまにあった。日本と同じ弁当はないが(
たぶん回転率が維持できない)、レンジで温めるカレー丼や牛丼は美味しい。
【写真36:丼はガーッと食べれるのがいいよね】


3)お支払い
クレジットカードは使えないが、スイカの様なプリペイドカードが全コンビニで使える。今回はスタート地点でジャックが海外参加者に配ってくれた。感謝。
(ちなみに僕は、800㎞前後のPCに忘れてきてしまった・・。1500円くらい入ってたのに)

page top

タイムトライアル、そして終った僕の旅
 PC10(625㎞)~PC12(718㎞。25日 21:30)

ようやく600㎞を超えた。ここからは、僕にとっての最長不倒距離。そして待ち望んでいた、時間制限緩和だ。
「600超えたら時間の余裕もできるし、旅だよ」という先輩ランドヌールの話もよく聞く。

時間もでき、台北も近づいてきた。1人旅にも戻ったので、この辺りで僕はミスをリカバリーしようと思っていた。iPhoneの充電ツールを手に入れるのだ。台湾在住のランドヌーズに無理を言って、道中の電気屋・携帯屋を探してもらう。「私はこんなのを探しています」という筆談用の中国語も教えてもらって、市街地をウロウロ。3軒回ってようやく入手。やれやれ。

トイレを探して図書館に行ったりしてから時計を見ると、意外と時間が進んでいる。
「あれ?もしかしてのんびりしすぎた?」
走りながら計算すると、15km先の次のPCまで時速25kmで行く必要がある。かなり厳しい。しかも台北が近いために急に信号が増える。もうダメかも、と思いながら死ぬ気でタイムトライアル。
ああ、いつだって僕は時間の見積もりが楽観的過ぎるんだ・・。朝、遅刻しないように駅に走るのと、やってること変わらないじゃん・・。頭の中が自己嫌悪で溢れるが、脚は止められない。この辺りは2年前に家族旅行で来た所。そんな感慨を覚える暇もない。
走りに走って、レジの目の前にあった菓子パンを掴んで、ジャストのレシートをゲット・・。死ねた。600㎞走った後にやることじゃないな。

コンビニ前で座り込んでいると、PCに待機してくれていた主催スタッフから驚愕のコメントがあった。
「折り返しまで2時間で46kmあるので、急いだ方がいい」
えっ?制限時間緩和は?
というか、時速15kmより厳しいってどう言う事?
このブルべ、1200kmではなく1239kmあるのだが、どうやらその時間調整がゴールだけでなく折り返しでも行われている模様。確かにブルベカードのクローズ時刻はそうなっている。。

平地タイムトライアルが終わったと思ってたら山岳タイムトライアルの開始。山岳コースを2時間で46㎞と言うのは、フレッシュな脚でもギリ。600㎞走った後にさっき脚を使い尽くしているので、まず無理。
でも、今回は、自分からは諦める事はしない事にしていた。全力で走って間に合わないなら仕方がない。でも自分からやめる理由は探さない。だから今回も、無理かもしれなくても全力で行くしかない。

時折、参加者とすれ違う。40㎞先に行って寝る時間もあっただろうから、ものすごい差が付いている。台湾人は速いなぁ。
登りながら、「間に合わなくても、何らかの救済措置があったらどうするか?」を考える。答えはGO。とにかく自分からはDNFしない。ルールだから、タイムアウトでのDNFは恥ずかしくないけれど、自分から投げたくはない。

それにしても、とにかく台湾は山が多い。折り返しの福隆までは、東京で言えば二子玉川から八景島に行くような距離感のはずなのに、ひたすら登らされる。どうなってんだ?
ここでようやく、いくらなんでも登りすぎな事に気づく。そういえばさっきから誰ともすれ違ってない!どれくらい前からかは、もう時間の感覚がなくて分からない。iPhoneのマップで、遥か遠くの山道に入り込んでいる事を確認。致命的なミスコース・・。折り返しPCまでは50㎞も離れてしまっている。

俺のブルべ、ここで終了。
主催者のジャックにDNFの電話をする。


すると「日本人参加者2人には、台湾人参加者をサポートとしてつけた。君のことは忘れていて悪かったけど、彼らに合流して欲しい」と、わけの分からない事を言ってきた。
「なぜ、今彼らに会う必要があるのか分からない。混乱しているんだけど」というと、取り敢えず迎えに行くから、会って話をしようと。
僕もどのみち折り返しまでは行くつもりだったから、ひたすら山道を下ってコースに復帰。しばらくするとジャックと奥さんが車で来てくれた。

どうやら、君達は外国から来ていてハンディがあるので、DNFしなくていい。主催者の俺が判断したのだから、ということらしい。
"OK,I understand it. Is it my choice?"
"Yes"
"I want to continue my challenge!"
という事で、いったんDNFになったはずの僕は、再び走りだした。少し後ろから、ジャック夫妻が車で付いてきてくれる。たまにすれ違う参加者を励ましながら。
【写真26:反射ベストを着たランドヌールにそっくりでしょ?】

この後、折り返しまでの間もかなり辛かった。2回もタイムトライアルしたにも関わらず脚は良く動くのだが、何しろスタートした23日の朝から2日半で、1時間しか寝ていない。
ブルベで睡眠不足のまま走って落車する人もいるが、幸い僕は経験がない。その代わりプチ幻覚というか、とにかくあらゆるものが人に見えるようになる。「あー、道端に農作業の格好をしたおばさんが座り込んでいるなぁ」と思ったら、ゴミ袋だったり。なんでもかんでも人間や犬や馬に見立ててしまう。脳みそがへたっている割に、凄い想像力だ。

page top

折り返しで借金6時間を背負う
 PC12折り返し(718㎞)~PC13(776㎞。26日 6:00)

折り返し718kmに着くと、クローズ時刻を1時間以上オーバーしてるのに、台湾人参加者も結構いる。大丈夫なのかな?主催者やサポートする人々も多く、ごった返している。

実はここの折り返しまで走った所で、やはりDNFしようと思っていた。幻覚を見るほど眠いのに、このままでは寝る時間すらないからだ。
これまで特別な世話を焼いてくれていたジャックに、この微妙な話を英語で伝える気力がわかないままボーっとしていると、ちょっと離れたところに吉田さんと北山さんがいると教えてもらう。
久しぶりに合流。僕が大ミスコースしている間に、先行されたようだ。

北山さんから改めて教えてもらった海外参加者用のルールは、「途中PCの制限時間はなし。もちろん、ゴールの90時間は守らないと、認定はNG」というもの。
国際ルールで運営されているブルベで、海外参加者だからといって僕らだけ甘くしてもらった訳で、複雑な気分にはなった。

でも、「はるばる走りに来てくれた海外参加者には、なるべく楽しんで帰って欲しい。もちろん続けるかどうかは君らの判断だけれども」という、主催メンバーの強い思いは良く理解できた。やはりDNFせず、ありがたくそのルールに従おう。
最後の最後まで、完走の可能性がある限りは頑張り続けろ、という過酷なルールでもあるのだし・・。

このまますぐに出発することはできないから、次のPCクローズ時刻を気にしなくていい、新ルールを最大限活用させてもらうことにした。
ここでシャワーを浴びて3時間ガッツリ寝て2時に出れば、残りの510㎞を34時間で走ればいいことになる。慣れ親しんだ時速15㎞ペースだ。
それならなんとかなるのでは?
というか、とにかく寝たいから、それ以外の選択肢はない。


熟睡して2時に起きると、僕と吉田さん以外は誰もいなくなっていた。北山さんはサポートの台湾人参加者と一緒に、あまり寝ないで出発したそうだ。
雨が降る中、ゆっくりと出発。再び台北までの峠を目指し、ダラダラとした坂を吉田さんと話しながら登る。

途中で吉田さんより先に行かせてもらったものの、次のPC13についた時には、折り返しからの時速15㎞ペースから30分も遅れてしまっていた。夜の山道とはいえ、このペースでは全然だめだという事だ。時速15㎞ならいつものペースだから余裕だと思っていたけど、それは元気な平坦ブルベでの話。これからも峠もあるのに、相当大変な賭けに出てしまったようだ。せめてあと1時間寝るのを短くするべきだったか?

page top

時速15㎞のライバルと死闘。そして憎き3号線
 PC13(776㎞)~PC16(1035㎞。26日 23:26)

【地図3:3号線をそのまま戻るのが基本】
                       【地図4:2つの峠よりも、細かいギザギザに注目!】

アップダウンのせいで時間を稼げない以上、PCにいる時間を10分以内にしないと駄目だ。コンビニでカップラーメンは身に余る贅沢。走りながら全ての補給を済ませるしかない。
電源は復活したが、今度は時間がなくてやっぱり写真も撮れないし、ツイートもできない。それどころか、日焼け止めを塗るとか、ウェアを脱ぐとか、全てを自転車の上でこなすしかない。まさに自転車生活。自転車操業。

PC13を出た26日の朝からはあまり記憶が無い。
20時間、ずーっと時速15㎞のバーチャルライバルとデッドヒートを繰り広げていた。もはやブルベカードのクローズ時刻は何の参考にもならないので、漕ぎながら何度も何度も、時速15㎞ペースからどれくらい遅れているのか、を暗算する。ぼけた頭で。
少しずつ借金を返せるが、PCでトイレと買い物を済ませるとまた新たな借金を背負ってしまう。ようやく借金を返せたと思ったら、折り返しを出た時点の残り510㎞というのが間違っていて、本当は520㎞な事に気づいてまた借金生活に戻る。

20時間、ひたすら時速15㎞のことだけを考えながら走る。
道は来た時と同じ、風光明媚な凶悪アップダウンである。

【写真27:大きなダム湖の横をいくつも通りました】 【写真28:いちご村、再び】

そしてついに、945㎞地点にある4つ目の峠(855m)を、時速15㎞のライバルよりも、どうやら先に越える事ができた。しかも台湾人最後尾の人に追いつくことができた。久しぶりの同行者だ。
1日中、ずっと10分単位の勝負をしてきたが、ようやくヤツに勝てる目処が立ってきた。いけるかも!

あまりにホッとしたのか、峠を下りながら少し泣いた。大人になってから自分のために泣いたのは初めてだった。まだ何も成し遂げていないのに。馬鹿な自分に腹が立ちながら、峠を猛スピードで下っていく。


夕方頃にちょっと嬉しかったのは、初日にスタッフをしてくれていたランドヌール台湾の女の子と、PCじゃないコンビニで会ったこと。台中で仕事を終えた後、ちょっと走りに来たのだという(そういえば平日だった・・)。
ヘロヘロな僕を見かねてか、家に帰る道とルートが重なっている5㎞ほどを先導してくれる事になった。厳密に言うとルール違反だが、女の子のお誘いを断るのも野暮というものだろう。珍しく街中のルートでバイクに揉まれて走るのはかなり怖かったから、地元サイクリストの誘導はとても助かった。


ドロップバッグがある古坑の民宿に、久しぶりに戻ってきたのは26日の23時だった。当然寝たりシャワーの時間はないが、温かいご飯をいただき、荷物の入れ替えができるだけでありがたい。ここまで来た以上、間に合わなくてもゴールまで自走するだろうから、ずっと持っていた輪行袋とレインパンツを置いていくことにした。その代わり、もしものためにタイヤの予備を持つ事に。

このあたりで吉田さんと北山さんがDNFした事をスタッフから聞く。随分一緒に走ってもらったので、とても残念。まだ完走への希望がある自分の状態をありがたく思う。異国では、DNFしてからも大変。無事にスタート地点にたどり着いて欲しい。

page top

終わらない夜の峠、何度目かの誤算、突然の中断
 PC16(1035㎞)~PC18(1176㎞。27日 11:30)

峠の直前の有人チェックポイントまで、50㎞をとてもスムーズに走れた。徐々に高度を上げ、高原の風景になっていく。ここまで1000㎞走ってきたが、実は今が1番走れている気がする。前々からスロースターターだとは思っていたが、まさか1000㎞になって好調とは。こんな能力、ブルベでしか活かせないな。

誤算だったのは、またも降りだした雨。なぜ僕は、さっきドロップバッグにレインパンツを置いてきたのか。あんなの持ったって軽いじゃないか・・。1000㎞の間、全く使わずに荷物として運び、本当に必要な時には持っていない。アホか。
長距離走って判断力がなくなっているなら、いっその事なにも考えずに走ったほうがいいのかもしれない。考えて何かやると、ことごとく外している。

【写真29:有人チェックポイントで雨宿り】 【写真30:珍しく自分の写真をとってもらう】

有人チェックポイントにはスタッフの他、参加者も10人くらいいて、土砂降りになってきた雨を避けるように休憩していた。汁ビーフンやバナナをいただく。この後峠を下ってからも、コンビニは60㎞先までないのだから。
キューシートを見ると、有人チェックポイントから921mの最後の峠まではたったの5㎞。ここまで結構高度を稼いだからな。途中で道案内してくれた女の子サイクリストも、こちらから登るほうが楽だと言っていたし。地元で走っている人の助言はありがたいねぇ。ちょっとホッとして、僕も雨をしばし待つ。ツイートしたり久しぶりに写真を撮ったり。

いつまでたってもやまない雨。少し小ぶりになった所を狙って、行きでも一緒になった台湾人3人組と出発。あとたったの5㎞だし、これが終われば下り基調のはず。
ところが、どれだけ登っても峠につかない。あれ?5㎞だったはずでは?台湾人達に聞いてみると、日本語が少しだけ話せる若者が「アト10ジ」と答えてくれた。ああ、あと10kmね、と思ったけど、マジですか?

ちょっと考えて、またも勘違いしていた事に気づいた。日本でミッチリ予習したのだから、有人チェックポイントの場所がキューシートやWebのマップ上で間違えて記載されていたことは、わかっていたのだ。
往路でも通っていて、たったの5㎞のはずはないことも確認してあった。でも脳みそがイカれているから、どうしても「より楽な方の解釈」に飛びついてしまったのだ。
有人チェックポイントから峠までの本当の距離は20㎞。このペースじゃあ、2時間半はかかる。ゴールまで11時間しかない。ヤバイ・・・

それに気づいてから、峠までが本当に辛かった。
土砂降り。時間の感覚がない中で永遠に続く登り。そして眠気。
折り返しで3時間寝てから、時速15㎞の攻防での緊張からか、全然眠くはなかったのに、ここに来てついに眠くなる。自宅の温かい布団。お風呂。家族。
台湾人たちと英語で会話する気力は残っていない。ひたすら日本語を呟きながら登る。あの女の子はどういう意図で「こっちから登るほうが楽よ」と言ったのだろうか・・。話が違うじゃないか。

しかし、自転車をはじめてから僕が体で学んだことの1つは「終わらない登り坂はない」ということ。脚を止めずに回していれば、いつかは峠に着く。この時もそうだった。ついに921m。1000㎞走った後に、こんな峠もって来るなよ・・。

峠の後はご褒美の下りが待っている。時間も取り戻せる。普段であれば。
しかしこの時は、下りも地獄だった。土砂降り。寒い。そして風。道には吹き飛ばされた枝がバンバン落ちている。
1回だけ、バレーボールくらいのおにぎり型の石が真ん中に落ちていた。小さい石は無数にある。避けられなかったら僕のブルベも終わりだな・・。

峠の通過時刻は予定より1.5時間遅れ。150kmを8時間半以内に走らなければ、タイムアウトだ。何度目かのタイムトライアル。雨の下りでも飛ばさざるをえない。
僕の後ろを走っている台湾人達も、時間は大丈夫なのだろうか?だが他人を気にしている余裕はない。

峠をあらかた下りきり、アップダウンゾーンに入った頃、少しづつ空が明るくなってきた。昼の12時には何もかも決着は付くのだから、登りも下りも気を抜かず走り続ける。
走りながら思わず叫んだのが、「自分の脚を信じろ!根性は信じるな!」
もはや小細工を考えるだけの余裕もない。考えてもどうせ判断ミスをする。何も考えずに走るしかないのだ。自分が根性なしなことくらい、良く知っている。


ちょっとした集落を通り過ぎる時、参加者の集団が雨宿りしているのが見えた。随分余裕あるな、と思いながらもスルーしようとすると、お前も止まれという。
聞いてみると、嵐で道がヒドイから夜明けまでブルベ中断だという。なに~~。タイムトライアルはどうなる!
でも「お前も道に落ちている岩を見ただろ」という言葉は説得力がある。主催者に誰かが掛けあって、時間的な救済措置を頼んだらしい。一気に気が抜けた。

【写真31:突然のストップ】

夜が明けてみると、結局20人以上のランドヌールが農家の軒先を借りて休んでいた。ちゃんとしたレインウエアーを持ってない人も多く、これでは低体温症に近い人もいたことだろう。そういう意味での救済措置でもあったのかもしれない。
英語ができる人がわざわざ来てくれて「ゴールの1つ手前の最終PCが、新しいゴールになる」と説明してくれる。
そういうことか。最終PCって1176㎞地点なのだが、それで認定しちゃうというのも乱暴な気がするけどいいのかな?まあ、僕だけはミスコースしてるから1200㎞走ってるけどさ。

よくわからないまま、なんとなく弛緩した雰囲気のなか、みんなで出発。僕の脳みそはまたも都合よい解釈を発動し「こんなことがあったんだから、ここにいる20人は全員時間が不問になったんだろう」などと思い、ゆっくり走る。

page top

ゴールはどこだ?翻弄され続ける
 PC18(1176㎞)~ゴール(1210㎞。27日 14:00)

最終PCについたのが、確か11時半ごろ。下り基調だと思っていたけど、蓋を開けてみるとやっぱりタップリとしたアップダウンだった。あのまま救済措置がなければ厳しかっただろう。

最終PCで30分ほど仮眠し、これからの事を考える。どう考えても輪行できそうな電車はないから、結局は自走で本来のゴールまで、60㎞以上の道のりを帰るしかないのだ。

そう思っていると、後からPCについた参加者がメモを見せてくれる。
「FB 堅持完成 非騎不可」
どうやら、ここがゴールになったわけではないらしい。
「ゴールまでちゃんと完走しないと認定されないのだが、ゴールタイムは最終PCの到着時刻で代替する」ということのようだ。
しかも、彼らが僕をゴールまで連れて行ってくれるという。

FBというのはたぶんFacebookのこと。各種救済措置はリアルタイムでFacebookで発表され、台湾人達は皆把握しているようだ。僕一人、ちんぷんかんぷん無我夢中で走っている。
たぶん主催者のジャックが「日本人の面倒を見てやれ」と指示をしてくれているのだろう。英語が出来る参加者が、あれやこれやサポートを申し出てくれる。状況は分からないが、支援されている感覚だけは伝わってくる。

好意に甘えて、台湾人トレインに乗せてもらうことにした。何故か32㎞巡航。あなた達、最後にどんだけパワーが余っているのか?これは部活のシゴキなのか?
でもこれだけ状況が掴めない以上、ちぎれたら終わりだから必死に食らいつく。
2時間ほどひきづり回され、都会に入っていく。屏東の街中のようだ。あれ?ゴールはここからさらに25㎞先のはずだが・・。

とあるセブン-イレブンに到着。スタッフが何か買えという。意味不明のままジュース購入。ブルベカードとレシートをスタッフに渡せという。意味不明のまま渡す。どうやらここがゴールのようだ。いつの間に変わったんだ・・。


後でジャックに問い合わせた所、「嵐があったので、屏東郊外である本来のゴールではなく、屏東市内のコンビニにゴールを変えた。本来のゴールは遠すぎるし、誰にとってもそれが1番いいのだ」と。
そうだよね。このブルベ、1239㎞もあって、余分な39㎞分の時間を捻出するために僕も苦しめられたからね・・。最初からそうしてくれよ・・。
と思いながらも、取り敢えずブルベは終わったらしい。

この時点で、認定が受けられるかは分からなかった。渡したレシートが全部揃っていたのかも自信がない。今回の時間ルールが謎で、僕の走りが適合しているのか分からない。
でも、もはや認定されるかどうかは、どうでも良くなっていた。
まるまる4日間、あまりにも色々な事がありすぎた。何度もダメかと思い、何度もギリギリの所で救われた。何度も自分の馬鹿さを呪い、何度も誰かに助けてもらった。
体験がプライスレスすぎて、完走できただけでももう充分だ。

page top

大鵬湾に戻る
 ゴール(1210㎞)~スタート地点 (1239㎞。27日17:50)

ゴールのコンビニで1人になってしばし唖然とし、市内でゆっくりとご飯を食べる。ビーフンとスープと肉の煮込みを指さし注文。
そしてホテルと、本当のゴールへと、ゆっくりと走り始める。ゴール時刻の12時はとうに過ぎているが、もともと予定されていたゴールまで辿り着かないと、完結しない気がする。

夕暮れが近づく中、本来のゴール地点に着いた。くぐるのを楽しみにしていた特設ゲートは既に撤去されている。まあ、ゴール時刻より6時間も過ぎているからな。
でも、少しだけ参加者とスタッフがまだ残っていた。バスをチャーターしてきていた台南からのチームが、荷物を積み込んでいる。

ジャックの奥さんがたまたまいて、駆け寄ってきてくれた。
「あなた、OKだったわよ」と、特製の完走メダルをくれた。ああ、認定されたんだ。
陶器で作られた、すばらしいメダル。今回のコースの象徴、大鵬大橋とランドヌールがデザインされている。このランドヌールは台湾ブルベの父にして、数年前になくなってしまったChen氏とのこと。
【写真32:完走メダル!】  



そして、あの夜の峠をはじめ、何度も何度も僕をリードしてくれたナイスガイと嬉しい再会。記念撮影。お互い完走メダルを見せ合ってニンマリ。ガッチリ握手。
こうして僕の挑戦は終わった。

96時間、まる4日間で、走行距離は1260㎞くらい。長い長い旅だった。
まるで計画どおりにはいかなかった。それぞれのパートで、常に全力タイムトライアル。そうやって走った結果として、たまたま認証が転がり込んできた。
【写真33:君のお陰で完走できた】  

page top

最後に

台湾は距離的にも文化的にも日本に近く、初めての海外遠征先としては参加しやすいと思います。それでいて、海外ブルベならではの大冒険を経験することができますので(これは僕の脚力がギリギリだったせいですが)、本当におすすめです。
ランドヌール台湾も海外からの参加者受け入れにたいへん積極的です。

台湾よいとこ、一度は走ろう!

最後に、今回参加するにあたって支えてくれた全ての人に感謝します。


※台湾ブルベに興味を持った方は、吉田さんのブログにも詳しく様子が載っていますので、是非ご覧ください。
 http://bate.blogzine.jp/bicycle/2013/04/post_9cda.html

【写真38:「日台友好!」これのお陰か、道中でたくさん応援してもらえました】

Report & Photo MASARU Shirakawa 2013

page top


Copyright 2005-2013 Audax Japan. All rights reserved.